中国から帰ってきた人のブログ。
中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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旦那さんの挙動を見ていて、無性に不安になることがある。
例えば。
指輪を見に行ったのだが、試着の際にあえて少し緩いサイズを選ぶ。
もう少しサイズを下げた方が…と店員さんに促されるが、「抜けなくなると怖いので」と試着も拒否。
不安障害?的なもののタネが現れているのかな…とか。
現在職業訓練校に通っている。
私も専門学校に通った同じ経験を持つので、「仕事と比べてまだ気持ちが楽でしょう」と聞いてみると、
「全然楽じゃない。毎日気が重いし、夜中3時と目覚ましが鳴る10分前に目が覚める」という答え。
あくまで自分の経験則を基にして言うのだけれど、学校はまだ自己責任。会社になると責任はもっと重くなる。
今の状態でそんなにプレッシャーを感じていたら、働き始めてどうなるのだろう…とか。
そして、これはあくまで他者との比較なのだけれど。
結婚して順調に子供が生まれる従姉とか、インスタグラムにマイホームと子供の写真をアップしている友人とか、
しっかり仕事をしている旦那さんを持つ友人や同僚を見ていると、無性に不安になってくる。
言ってはいけないことだけれど、この人じゃなければ手に入れられた普通の幸せ、というものが、あったのではないか。
それを手にするチャンスはあったのに、何故この人を選んだのだろう…とか。
そんなことを考えていると、段々と憂鬱になってくるのだ。
****
ある日、テレビで、若手官僚の長時間労働を取り上げているのを見た。
年齢は、私と同じ31歳の女性。
朝8時出勤、前日会社を出たのは午前1時。
メールは1日500通。ようやくありついた昼食はコンビニで買ったもの。
予定の打ち合わせが午後5時に終わり、戻ってそこからまた資料をまとめ‥‥
残業時間100時間を超える人が10人に4人いる世界。これくらいの働き方は、別に珍しくもないのだろう。
物凄い倍率の試験を突破して、責任あって難しい仕事を7年も続けている。この時点で脱帽する。
東京にいたときの生活は、これよりましだったし仕事内容だってそんなに責任のあるものでなければ多くもなかったけれど、
24時間の中に占める労働時間の割合が増えるにつれ、私の心は削られていった。
今、地元に帰ってゆるくも人間らしい生活サイクルで過ごしている。
しんどいこともあるけれど、時々ふと東京の生活を思い出す。
あの時、あのまま東京に残る選択をしていたら、私は死んでいたかもしれないな…。
人によって価値観は違う。
社会的に責任の大きな仕事をやること、バンバンお金を稼ぐこと、そこにも価値はあるだろう。
最近見たNetflixのドラマを思い出す。(たしか、『エミリーパリへ行く』)
「フランス人は、生きる為に仕事をするんだ。仕事する為に生きてるんじゃない。」
私にとってもこれだなあ、と思う。
仕事は、充実した生活環境を得るためのサイクルのひとつ。生活の糧を得る為のもであるし、社会的貢献という充実感を得るためのものでもある。
朝起きて夜寝て、5日働いて2日休むという生活サイクルを作る為のもの、また仕事で身体を動かすことで体力を維持する為のもの。
ただ、それ中心に全てが回ってしまうものではない。
私にとっては余暇の時間があり、家族と過ごす時間の方が、重要な時間だと考えている。
そういう生活が出来ている時点で、私は幸せなのだと思う。
他人の家庭がなんだ。旦那の職業がなんだ。
毎日充実した生活が得られているではないか。
ここで、ある文章を紹介する。
『道は開ける』(D.カーネギー/東条健一訳,2014年)より 一部抜粋
上記に当てはめて考えてみる。
ステップ① 旦那さんは転職活動が上手くいかず、職を転々とする。
それでも、事故に遭ったわけでなければ犯罪を犯したわけでもない。五体満足だし、趣味もあって友達もいるのだ。
ステップ② まず、私には正社員の仕事とボーナス含めたお給料がある。手取りは多くは無いけれど、先輩方も同等の給料(2年目の私よりは多いだろうが)で、
家を買い、子育てをしている。旦那さんが仕事がうまくいかなかったからといって、私一人の収入でやっていけないはずではないはずだ。
基本は私の給料をベースに考えて、彼の収入が入ればラッキー。くらいに考えれば、少し気持ちが楽になるのではないだろうか。
ステップ③ 私一人の給料でやっていくとして、お金の上手な運用の仕方や、今後の計画を速めに立てた方が良い。
幸い私の地元には両親がいて、二人とも元気にやっている。子供が出来たら、彼らに子育てを手伝ってもらいながら仕事をすれば、安定した収入を得ながら
子育てが出来るだろう。
ここまで考えて、私は自分が冷静に物事を考え始めていることに気が付いた。
状況は一部に悪い部分もあるものの、恵まれている部分もある。そこに気付くことが出来たのだ。
そしてなんだか段々、気持ちが高ぶってくる。
これまでの人生の一段階と同じではないか。
大学進学を決めた時、留学を決めた時、転職を考えた時。
現状を把握したうえで、情報を収集するのだ。その上で、最善と考えられるものを選んで、計画していくだけだ。
例えば、週末の買い物をして、食材をどう上手く配分しておかずを作ろうか、と考える事と同じことだ。計画を立てて、あとは遂行していくだけ。
「まけへんで。」
これは、ジェーン・スーさんと堀井美香さんが最近始めたポッドキャストで言ってたフレーズ。
「まけへんで。」そう、私の人生、モチベーションは結構これだったりする。
まけへんで、この状況に。
まずは情報収集。情報があるかどうかで選択肢の幅は広がる。
ウェディングプランナーだって、携帯ショップの店員だって、大事なのは知識を持っているかどうか。
その知識に関してだけれど、最近読んだこのブログ。
日本から捨てられた土地で生まれて
地方民と都会の人たちでは、毎日目にする電車の中吊り広告からして入ってくる情報量が違う。
それが引いては、格差につながっていくという部分が印象に残る。
田舎とか関係なく、自分で取りにいかないと情報は入ってこない。アクセスする手段ネットの面では割と均等かも。
制約された状況だからこそ、ぼーっとせずに情報とりにいくぞ。
結婚指輪も前撮りも結婚式だって、めちゃくちゃいいものにしてやるんだから!
(今まで何もやっていなかった反動か…)
まけへんでえ~!
例えば。
指輪を見に行ったのだが、試着の際にあえて少し緩いサイズを選ぶ。
もう少しサイズを下げた方が…と店員さんに促されるが、「抜けなくなると怖いので」と試着も拒否。
不安障害?的なもののタネが現れているのかな…とか。
現在職業訓練校に通っている。
私も専門学校に通った同じ経験を持つので、「仕事と比べてまだ気持ちが楽でしょう」と聞いてみると、
「全然楽じゃない。毎日気が重いし、夜中3時と目覚ましが鳴る10分前に目が覚める」という答え。
あくまで自分の経験則を基にして言うのだけれど、学校はまだ自己責任。会社になると責任はもっと重くなる。
今の状態でそんなにプレッシャーを感じていたら、働き始めてどうなるのだろう…とか。
そして、これはあくまで他者との比較なのだけれど。
結婚して順調に子供が生まれる従姉とか、インスタグラムにマイホームと子供の写真をアップしている友人とか、
しっかり仕事をしている旦那さんを持つ友人や同僚を見ていると、無性に不安になってくる。
言ってはいけないことだけれど、この人じゃなければ手に入れられた普通の幸せ、というものが、あったのではないか。
それを手にするチャンスはあったのに、何故この人を選んだのだろう…とか。
そんなことを考えていると、段々と憂鬱になってくるのだ。
****
ある日、テレビで、若手官僚の長時間労働を取り上げているのを見た。
年齢は、私と同じ31歳の女性。
朝8時出勤、前日会社を出たのは午前1時。
メールは1日500通。ようやくありついた昼食はコンビニで買ったもの。
予定の打ち合わせが午後5時に終わり、戻ってそこからまた資料をまとめ‥‥
残業時間100時間を超える人が10人に4人いる世界。これくらいの働き方は、別に珍しくもないのだろう。
物凄い倍率の試験を突破して、責任あって難しい仕事を7年も続けている。この時点で脱帽する。
東京にいたときの生活は、これよりましだったし仕事内容だってそんなに責任のあるものでなければ多くもなかったけれど、
24時間の中に占める労働時間の割合が増えるにつれ、私の心は削られていった。
今、地元に帰ってゆるくも人間らしい生活サイクルで過ごしている。
しんどいこともあるけれど、時々ふと東京の生活を思い出す。
あの時、あのまま東京に残る選択をしていたら、私は死んでいたかもしれないな…。
人によって価値観は違う。
社会的に責任の大きな仕事をやること、バンバンお金を稼ぐこと、そこにも価値はあるだろう。
最近見たNetflixのドラマを思い出す。(たしか、『エミリーパリへ行く』)
「フランス人は、生きる為に仕事をするんだ。仕事する為に生きてるんじゃない。」
私にとってもこれだなあ、と思う。
仕事は、充実した生活環境を得るためのサイクルのひとつ。生活の糧を得る為のもであるし、社会的貢献という充実感を得るためのものでもある。
朝起きて夜寝て、5日働いて2日休むという生活サイクルを作る為のもの、また仕事で身体を動かすことで体力を維持する為のもの。
ただ、それ中心に全てが回ってしまうものではない。
私にとっては余暇の時間があり、家族と過ごす時間の方が、重要な時間だと考えている。
そういう生活が出来ている時点で、私は幸せなのだと思う。
他人の家庭がなんだ。旦那の職業がなんだ。
毎日充実した生活が得られているではないか。
ここで、ある文章を紹介する。
『道は開ける』(D.カーネギー/東条健一訳,2014年)より 一部抜粋
問題解決の簡単な方法がある。
エアコンの発明者キャリア氏が考案した「魔法の方法」だ。
3つのステップで行い、魔法のような効果がある。
ステップ① 起こり得る最悪のことを考える
ステップ② 最悪のことを受け入れる
ステップ③ 最悪のことを改善する
「真の心の安らぎは、最悪を受け入れることでやって来る。」
最悪のことさえ受け入れてしまえば、もはや失うものは何もない。
上記に当てはめて考えてみる。
ステップ① 旦那さんは転職活動が上手くいかず、職を転々とする。
それでも、事故に遭ったわけでなければ犯罪を犯したわけでもない。五体満足だし、趣味もあって友達もいるのだ。
ステップ② まず、私には正社員の仕事とボーナス含めたお給料がある。手取りは多くは無いけれど、先輩方も同等の給料(2年目の私よりは多いだろうが)で、
家を買い、子育てをしている。旦那さんが仕事がうまくいかなかったからといって、私一人の収入でやっていけないはずではないはずだ。
基本は私の給料をベースに考えて、彼の収入が入ればラッキー。くらいに考えれば、少し気持ちが楽になるのではないだろうか。
ステップ③ 私一人の給料でやっていくとして、お金の上手な運用の仕方や、今後の計画を速めに立てた方が良い。
幸い私の地元には両親がいて、二人とも元気にやっている。子供が出来たら、彼らに子育てを手伝ってもらいながら仕事をすれば、安定した収入を得ながら
子育てが出来るだろう。
ここまで考えて、私は自分が冷静に物事を考え始めていることに気が付いた。
状況は一部に悪い部分もあるものの、恵まれている部分もある。そこに気付くことが出来たのだ。
そしてなんだか段々、気持ちが高ぶってくる。
これまでの人生の一段階と同じではないか。
大学進学を決めた時、留学を決めた時、転職を考えた時。
現状を把握したうえで、情報を収集するのだ。その上で、最善と考えられるものを選んで、計画していくだけだ。
例えば、週末の買い物をして、食材をどう上手く配分しておかずを作ろうか、と考える事と同じことだ。計画を立てて、あとは遂行していくだけ。
「まけへんで。」
これは、ジェーン・スーさんと堀井美香さんが最近始めたポッドキャストで言ってたフレーズ。
「まけへんで。」そう、私の人生、モチベーションは結構これだったりする。
まけへんで、この状況に。
まずは情報収集。情報があるかどうかで選択肢の幅は広がる。
ウェディングプランナーだって、携帯ショップの店員だって、大事なのは知識を持っているかどうか。
その知識に関してだけれど、最近読んだこのブログ。
日本から捨てられた土地で生まれて
地方民と都会の人たちでは、毎日目にする電車の中吊り広告からして入ってくる情報量が違う。
それが引いては、格差につながっていくという部分が印象に残る。
田舎とか関係なく、自分で取りにいかないと情報は入ってこない。アクセスする手段ネットの面では割と均等かも。
制約された状況だからこそ、ぼーっとせずに情報とりにいくぞ。
結婚指輪も前撮りも結婚式だって、めちゃくちゃいいものにしてやるんだから!
(今まで何もやっていなかった反動か…)
まけへんでえ~!
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