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中国から帰ってきた人のブログ。

中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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先週静岡に行ったとき、気になった作家さんのワークショップがあるとのことで、今日出掛けてきました。

場所は汐入タワー。南千住駅から20分ほど歩いた汐入公園にあるところ。
人が少なく、落ち着いた川沿いに立つ汐入タワーでワークショップをしていた。





先週好きになった作家さんに、翌週会えてるとかすごすぎる。
東京すごい。自分の幸運が怖い。

その人の作品を見てから、イラストが無性に描きたくなった。そのために昨日、蔦屋書店で買った450円のボールペン。
そのボールペンを初めて描いたのが、その作家さんからのサインなんて。ありがたいことでした。

緻密で、細かくて、たいへんかわいらしい。淺井裕介さんという作家さんである。
わたしもこのペンを使ってイラストを描こうと思う。




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仕事のやり方を変えるための覚書。
・ストレス源になる人、物へは近寄らない。
また、なるべくそういった状況を避けるように動く。
(一度言われたことをメモする。言われて分からない疑問はその場で尋ねて解消する。)
・議事録はすぐに書く。
疑問を書き出し、質問する。
まだこれくらいしか思いつかないのだが…。


月曜日、どん底にいた。
頭を誰かに握りつぶされているようなおも~い疲労感。
職場に行くことへの拒否反応。
支度しているときはごく普通だったのに、玄関を出て仕事に向かう自分を想像した瞬間、
涙があふれて止まらなくなり帰宅。
午後イチ先輩が話を聞いてくれる。そこで、診断書をだそう。
それだけを頼りに職場へ向かった。
午後イチ、先輩の前でわんわん泣いた。
「もう無理です、休ませて下さい。」と伝えた。
先輩から言われたのは
・休職をすると、職場に戻りにくくなって退職するパターンが多い。それは避けたい。
・調整をする今の仕事が向かないというのなら、いっそ事務職に移行するのはどうか。
・どうしても休職するのであれば、それは止められない。
・辞めたいと思うことはあるか。→あります、と正直に答えた。
水曜日までに信頼できる人へ悩みを相談する。
そのうえで、答えさせてください。
その夜。業務がなかなか終わらない私の横に、部内で最後の二人になるまで先輩がついていてくれた。
嬉しかった。
正直、先輩の心配はポーズだと思っていた。
休職をすぐに承諾しないのは、部下から休職を出してしまうと人事評価に響くからだと。
火曜日に取引先の人と出張したとき、遠まわしながら褒めてくれた(前よりは怒られることが少なくなった、とかそのレベル)
のも配慮をしてくれてるな、とありがたく思った。
(上司が部下の配慮をするのは当然です。それを、過大に受け止めすぎて遠慮と謙遜の塊にならないこと。)
ただ、一人、そうやって見てくれる人がいるんだなと、ここ昨日今日と思えたことで、
安心感が湧いた。
怒られるとひたすら自分を責めて、この職場ではもうやってかれないんだ、私なんて不要でお荷物のうんこだ。
とか責めて責めてってマインドがあったんだけど、ここまでやらかしても見捨てずに見てくれる先輩の存在が、
少し、その思考にキープをかけてくれた。


立ち直れた理由はもう二つある。
・「こんな状態だから、頭が痛いから仕事ができないのだ。私ができないからじゃない。東京が私を変えたんだ。
こうなったのは、香川から環境が変わってしまったからだ。」
→全部人のせいにしてないか、辞めたい動機が逃げだということに冷静になって気が付けたから。
・月曜日。仕事は右から左から降ってくる。
あれも、これも、やらないと、そう思う片手間で意識がはっきりしてきていたのかもしれない。


もう少し、この職場で頑張りたい。
その為に、ストレスをためない様に、うまく抜けるように、考えていくのだ。

一昨日あのあと、近くに住むいとこのお姉ちゃんの家に行った。いつも仕事で帰りの遅い旦那さんもたまたま早く帰ってきていて、二人に話を聞いてもらった。診断書も見せて…

「なんや、そんな大きな病気じゃなくて!俺もなったことあんで。ストレスの原因になる環境を変えればなおる病気や。
上司に相談してみて、仕事減らしてもらうなり、部署変えるなりしてもらい。」

「辞めるって選択肢?俺はなかったな。一人だけ12時まで残って仕事してて、周りはさっさと帰っていってオフィスにライトが俺の周りだけついてたときはさすがに泣いたけど、何で俺ができへんねんって思ってた。」

この人は、大企業に勤めていて、友達も多い。でも苦労はしてるんだなと思った。
辞めるって思わないのはこの人の選択肢。
わたしは?どうすべきなのか?

その日はお姉ちゃんの隣で眠って、久しぶりに朝まで目覚めずに眠れた。

次の朝、ビックリするくらい心が晴れており、頭も痛くなくなっていた。
わたしは悩んでいた半年の研修を受けた。(これを受けることで半年は辞められないのでは、と悩んでいた)
来年の4月まで、妥協なく頑張ろう。
その上で決めよう。辞めてもいいし、辞めるなら代わりに何をするか決めておく。

あとは、厳しい先輩が夏休みで休んでいたからかもしれない。だから、週明けはどうなるか分からない。

診断されたときの精神状態よりも随分回復した。誰かに吐き出したのと、誰かが近くにいたからかな。
ここ数日、地元の職場の先輩が訪ねてきてくれてお昼を一緒したからかもしれない。周りの人に救われるな。やっぱ、逃げたいと思いながらなんかやるのは不毛だ。



今週に入って、限界を感じていた。
45分前には出社していたのが15分前になった。会社に行きたくないという気持ちが明らかに胸の奥にあって、準備が進まない。家を出て、会社に向かう足が重い。前に進んでいるのにも関わらず、私の頭のなかではムーンウォーク。逆方向の動く歩道に乗ってるみたいに、進まなければいいのに、と考えながら歩く。
会社ではふとしたときに涙が溢れそうになり、目の前の文字を読んで必死にやり過ごす。無心になれ。経済研究所、TDB調書、入稿期日。メールの返信、ミーティングのアレンジメント、お忙しい中恐縮ですが。西遊記の孫悟空が頭につけられた輪っかをはめられたみたいに、こめかみがみしみしと締め付けられて思考は前に進まない。
話の分からない取引先の営業が、同僚たちに馬鹿にされるのを背中に聞きながら、わたしもこう言われてるのかな、と思う。でも、劣等感の思考が始まるとループになるから。先輩からそういう風に考えちゃダメよ、言われたから考えない。マイナス思考に蓋をして目の前の業務に取り組む。でも、もう限界だった。作り笑顔もひきつって、会話するにも来もそぞろ。ここでずっと働けるなんて考えられなかった。


病院にいった。
女の先生だけど、前とは違う人。ほっとした。
てきぱきと質問される。
休職を進められた。
書記に伝える言葉。「病名は適応障害。」うつとも、ADHDとも違った。
先生は秋田県出身だった。
病院に来る人を見ていると、東京に馴染めない人は多い。そういう人たちは人が違う、あとうるさいと言う。北海道の人なんて特に馴染めない人が多いんだって。関東圏とか大阪の人の方が、適応力は高いのかなあ、って。東京にいる人でも、農業やってる人はここにこない。人と関わらないから。サービス業なんかのきめこまかいことを求められる人たちがぼろぼろになってる。
休職は、すぐにはおすすめしません。癖になるから。
休職するにしても、復職が前提ですから。って絶対言われるから。ここから2パターンに分かれます。地元に帰ってゆっくり休養して、仕事を探すか。周りの友達や家族が地元に戻っておいで、と言うならそちらがいいかもしれない。もうひとつは、東京でしかできない仕事をするために、休んで力をつけて帰ってくる人たち。どちらを選ぶのもあなたの自由です。
薬は、今回は出さないけどずっと憂鬱が続くようなら飲んでくださいね。

というのが先生の言葉。


aoyagiさんの親孝行の記事を読んで泣いてしまった。
親に申し訳ないことに、自分のことで精一杯で親のことまで考えられる余裕もない。

最近、いよいよ眠れない。
夜中に目が覚める。

仕事は続けるのが難しいと思う。
でも、どう切り出していいのかわからない。考えられるのだと、うつ診断されたところから、休職に持ち込むか…。

先日「うつ状態」と診断され、突っぱねて帰宅してしまったが、先生の「今薬を飲まないと眠れなくなりますよ」という言葉が頭のなかで反芻する…。薬は冷蔵庫のなかに突っ込んだままだ。

中国語の翻訳、ふたつほど翻訳学校に行ったが、今は開講時期ではないため、8月の夏期体験を紹介された。
しかし、やはり狭き門なのは変わらなさそう。というか、それを今やっと実感しておろおろしている。
香川にいたときにもっと問い合わせを自分からしたりしておけばよかった、と今更ながら後悔。
あまりにも狭き門なので、このまま翻訳の道にいくべきかを悩む。
その道が途絶えた時点で、進むべき方向を見失っている。
あまりにも考えなしだったな、自分…。

東京に来てあっという間に8月。もう今年が半分終わったが、今の職場に来てまだ4ヵ月しか経っていないのだ…。

なるようにしかならないよね…。
辞めて翻訳学校に通うのか?
家賃はどうするのか?本当にその道で大丈夫か?
30歳までの貴重な残り3年、中途半端な夢を追っかけるより地元で結婚、出産した方がいいのでは…
というか、東京で働くサラリーマンたちよりも、地元で働くお母さんがたの方が話は合うし、居心地よい。
元々ずっと東京にいる予定ではなかったし…。ただ、今帰って、何ができるかということなんだよね…。
自分の能力を見誤ったわー。バリバリOLできる器じゃない。
世の中、もう中国語だけで買われる時代じゃないのね。

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