忍者ブログ

中国から帰ってきた人のブログ。

中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
[11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

最近、人ってなんで死ぬんやろうって思う。


今年の7月15日、父方の祖母が亡くなった。
6月末に入院して、どんどん食事がとれなくなって痩せ細り、最後は兄弟子供孫一同に取り囲まれての往生だった。
お医者さんから余命を告げられていたから覚悟はしていたけれど、やはり辛くて寂しかった。
今でも度々仏前に訪れて祖母に語りかけるけれど、当然のことながら祖母から帰ってくる言葉はないし、読みかけの文庫本、履いて帰る予定だった祖母の靴、がらんと整理されてしまっていて、この世のどこにもいなくなってしまったんだなぁと思う。


それまでは少し幽霊を信じていて、妄信的に死んでもまだ、祖母との関係は続いていくものと思っていた。ご先祖様は見てくれている、と。
でも、幽霊になった祖母に会えるわけもなく。
最近は、幽霊って言うのは生きていた頃に残した思いなんだろうなぁと思う。
死んだら人はなにも生産できないし、感情を感じて思考する脳が燃えてしまったら、後には本当になんにも残らない。


同じような日常が続くなかで、毎日あまりなにも変わらないようで、実は時間が経ってしまっていることに怖さを感じる。
昨日、従姉妹のお姉ちゃんが誕生日で、35歳になった。「もう、40歳やん。ちっちゃかったのになぁ。」と言ううちの母はもうアラウンドシックスティーで、「当然やな、あんたがもう30歳近いんやから」と私に言う。
お母さん、従姉妹のお姉ちゃん、わたしの関係は変わらないけど、みんなが平等に年を取っていく。


人生は自己満足なんかもしれん。
死んだらなにも無くなることは分かってる。
死ぬときに、他と比較してどうこう言うんでなくて、自分が、これで良かったわ、と思って死ねたらそれでええんやと思う。

やから、そこまで続く長いルート(そうとも限らなくて、明日は無い命なんかもしれんけど)
死ぬ段が来るまで、満足できるような人生が送りたいわ、って、そう思った。




話は飛ぶんだけど、前にもブログでかいた70代の先生。
今日も授業があり、言 語聴覚.士の歴史を辿って話してくれた。国家資格に認定されるまで、先生が関わって築いてきた部分もあり、生きる伝説と呼ぶにふさわしい。
本当に、医学と教育の狭間にあって、勉強せなならん範囲がとても広い。でもとても勉強しがいのある、面白い仕事ですよ。そして医療職のただの補助やない、誇りある仕事です。あなたたちは一生懸命勉強するんですよ。自分のためやし、もちろんそれは患者さんのためですよ。と。


先達が、そういう風に言ってくれる仕事に向けて勉強できて良かったな、と思った。
お店で売り上げのために携帯売るよりも、やはりこっちの道に進んでよかった。



ほならまた、一生懸命勉強しましょかね。
PR

お久しぶりのブログ更新です。
今日あった、ちょっと元気が出た話を。


今週から授業が始まりました。9月一杯夏休みだった訳です。
今日の授業担当は、前期も担当してもらっていた、75歳の元気な女性の先生。背筋はぴしゃん、声量大きくはきはきと、180分話しっぱなし立ちっぱなしのスーパーおばあちゃん先生です。


先生、夏休みは疲れて寝込んでいたそう。その理由が、パソコンの勉強を始めて知恵熱を出したこと。最近は授業中にPowerPointで写真を出したりするんですよ。そのためにも苦手なパソコンを克服しようと本を買って取り組んでいたそう。
相変わらずパワーみなぎる話だわぁと感心していたのですが、そのあとに続けた話がこうでした。


わたしは、パソコン苦手なの。
誰でも苦手や不得意や欠点があるのよ。
欠点のない人間なんてこのクラスにはいないでしょ?
でも、同じように人間何か得意や長所があります。それを伸ばしなさい。
わたしはパソコン駄目なのが欠点だけど、鼻咽腔閉鎖の音の聞き分けは誰にも負けません。(言語聴覚士の先生です)
あなたの長所を伸ばせばいいのよ。それ全部含めて人間です。その代わり、長所や得意やと思ったら他の誰にも負けへんと思うくらい徹底して伸ばすのよ。






最近、少し落ち込んでいました。

9月に東京へ遊びにいったわけですよ。そのとき、前職の後輩に会いました。OJTでついてもらっていて、わたしと徹底して合わなかった先輩に、また新人の女の子がついたそうです。「まあ、うまくやってる感じですよ」と後輩は言ってました。

あんまり人を育てるのがうまくない先輩だったとわたしは思うのですが、また新人をその人につかせてるのか、、、と組織の代わり映えのなさに落胆しました。
わたしが辞めたことで、その先輩の後輩指導の評価は下がるだろうなぁと薄々感じていたので。

ただ、思い至ったのは、先輩の評価よりもわたしの悪い評価があって、その状況が生まれてるのではないか、と。jukkoさんは使えなかったけど、新しい子は馴染んでるね。やっぱ、jukkoさんが適正なかったんだね。とか、そんな風に言われてるのではないだろうか、、、

辞めてしまった職場のことを今さらぐちぐち言ってもしょーがないんですが。
一会社の一部署に馴染めず辞めてしまったという後悔というか、負けた感があるわけで。資格が取れて晴れて就職できたとしても、次の職場でも使えない、駄目なやつ、そんなふうに馴染めなくなったらどうしよう、、、、やっぱり社会適合できないんじゃないか、、、とか。もんもんとしていたわけです。

でも、先生の話を聞いて少し元気をもらいました。
欠点があってもいいんですね。
急かされるとテンパるし、優柔不断で遅刻しがちで要領悪いけど、だからといって人生諦めるのではなく。
真面目なところ、真摯に向き合おうとする姿勢を、もっと伸ばせるよう、勉強頑張ろうと。長所を伸ばせるよう、頑張って勉強しようと。

真面目ですね。
はい、真面目ですね。
まぁそんな感じです。

少なくとも前職の営業職よりは向いてると感じているわけですし、怠けないよう復習頑張ろうと思います。





以上でした。

父方の祖母が肺炎で入院した。
6月末のことだ。
施設で、熱があることを、職員さんが見つけたらしい。

こういうことは今までにも何度かあって、昨年の夏にも水が飲めないほどに体力が落ちて入院したことはあった。
東京にいた私は、一週間ほどとらせてもらった夏休みに、地元に帰って祖母を見舞った。

その後、体力を回復させた祖母は退院後、施設へ入所した。
父は、家の近くの施設へ、度々メロンやスイカといった果物を持って祖母を見舞いにいっていた。

そんなことがあったから、今回の入院も、わたしは大袈裟にとらえていなかった。

ところが今日、伯母からLINEがきた。
いよいよ容態が思わしくなく、主治医から余命も告げられた、と。
予想外の展開に、動揺した。
今日は台風3号の影響で、瀬戸大橋線が動くかどうか朝から心配していた。あっという間に過ぎ去った台風の後に晴れ間を見せる瀬戸内海を、マリンライナーに乗って渡りながら、四国へ帰れる安堵感など頭からふっとんだ。

それから、あまりにも、なにも手につかなくなってこのブログを書いている。

今週水曜日と日曜日に会う予定だったが分からなくなった、と彼氏に連絡をしながら、その日に何が起きているのかを想像して恐ろしくなる。急に恐ろしくなった。

大人たち、、親たち、親戚たちがあんなに心配して病室へ見舞いにいくのを見ていた。父の声が暗いのも聞いていた。みんな心配性だと思っていた。また、ばあちゃんは退院するから、そしたら施設へいって昔の話をたくさん聞いておこうとか色々考えていた。

肺炎の怖さも舐めていた。
よりによって、言語聴覚士という、その病気に最も近い職業について勉強をしながら。
インターネットで「肺炎」と調べた。
病巣が広がれば息が出来なくなって苦しみ、最後は呼吸器をつけることになる、と書いてあった。誤嚥性肺炎になると肺に入った(誤嚥した)ものを除去するのも難しい、と。祖母の肺炎のきっかけはなにか分からないが。
授業中に何度も聞いた、「日本人の死因第三位は肺炎」という知識が、頭をよぎった。
肺炎で、本当に、死ぬのだ。

今夜、22時に主治医の話を聞きに行く。
ばあちゃんの顔を見にいく。

人間の聴力は最後まで維持される。
ばあちゃんに、手を握って、話しかけてこようと思う。

馬鹿だなぁ。
いつでも会えるなんていつまでも続かないのに。そんなことは、誰にだって言えるのだ。
だから、会っとかないといけないのに。。


愚痴をいくつか


◼家事しすぎて勉強できない
言い訳かもしれないけど、家事で疲れてそのまま寝る、という図式がここずっと続いている。
18時半に帰宅。
風呂を洗って洗濯物を取り込んで、晩御飯を3品(主菜、副菜、味噌汁)作る。 
20時半に鍋やボールの片付けまで終わり、風呂にはいる。
仕事で疲れてイライラしている父親に気を使いながらの食事の支度。疲れる。

◼実家が狭い。
両親と弟含めた4人で生活している。母親と同室で寝ている。母親が荷物を溜め込む人で、一室は倉庫状態。荷物がすごい。

◼父親とお金の問題。
5月に、父親が酒飲んで暴れて、お前の結婚式なんて行かんけんの、と怒鳴られた。
別に結婚式など来てほしくもないから「どうぞ、ご勝手に」と言うと再度ぶちギレ。
作った食事もすべてぶちまけて、友達にもらったコップを割られた。
酔っ払いの言うことに、反応すべきでないことを悟った。

毎月、両親に3万ずつ、計6万円もらうことになっている。
でも、両親も苦しいよね。。
次にまた父親が酔っ払ったときに、お前に金ややらん、とか言ってきそう。そうなったら言い返せない。その状況を招いてしまう自分の現状にも腹が立つ。早く一人立ちしたい。

◼母親との関係
いまの彼氏との結婚したあかつきには、実家の近くに家を買おうという話に母親となった。
母親は、わたしにそばにいてもらいたいらしい。それはひとえに、父親との関係がよくないからだと思う。父親がとても自己中心的な人なので、二人だととてもやっていけないからだろう。
地元に帰ってきたのは自分のため。地元にいるのが心地いいから。一方で、母親をほっとけないから、という気持ちもある。

わたしが結婚して子供を産んだら、家庭はうんと円満にしたい。子供が巣だっても、旦那と二人で楽しく過ごすから。あんたたちはどこなとお行き、と言えるくらいの円満な家庭にしたいんだ。

腹立つし自分自身も、家族も情けなくて泣けてくるけど、東京いて前の会社で働いてたときよりずっといい。
作ったご飯は父親も母親もおいしいと食べてくれるし、友達も、彼氏も距離が近い。地元の方言が使えるのが楽だ。
いいところも、悪いところもあるのだ。
思い詰めすぎないこと、気持ちを切り替えること、人の状況と比べないことが大事だ。
どうっっっにもやる気がでなくて参っていた。
宿題も、時間割りにすら手をつけられず、家に帰って一息ついたらテレビを見たりスマホをさわったり。
4月当初の気概はどこへやら、ぐうたらな生活リズムが完成してしまっていた。

一息ついた後に、机に向かおうというよいしょができない。
疲れたから、、眠いから、、何となくやる気が出ない、、とぼぅっとしていたら次の日の朝なのだ。

勉強してきていないから、周囲の会話にも入れない。嫌なことだけど、勉強してないキャラになりつつあるのは本当だ。
それでも、抜け出せなかった。

今考えれば、受験のときのあのモチベーションの高さってなんだったんだろう?
思い返していて思い出した。
同級生のOだ。

中学3年のとき、わたしは若干のいじめにあっていた。
実は父が教師をしており、同じ学校に配属されていた。Oは、父が顧問である野球部員であり、部活で重用されないイライラを、席が隣の私にぶつけていたようだった。ダサい眼鏡をかけて、根暗で一部の女子としか話さないわたしは、Oの格好の標的だった。給食の時間、休み時間に向かい合って食べる私を空気のようにして父の悪口を言う。手は出してこないものの、陰湿に、ねちねちと。

心配をかけたくないと親にも言えず、仲の良い友達にも恥ずかしくて言えず、もんもんとした気持ちを抱えていた。布団にくるまって泣き声を噛み殺しながら、絶対学校は休むまいと決めていた。Oに負けたようになるのは嫌だった。

高校受験に落ちて、滑り止めに行くのも、レベルを落としてOと同じ学校に行くのも嫌だった。その一心で勉強した。努力の甲斐あり、Oよりレベルがうえの進学校に合格した。

大学受験も、思えば気持ちは中3より薄れていたものの、Oに負けたくないと考えながらやっていた。一切Oがどこの学校に行くかなんて知らないが、あいつと同じレベルの学校に行くもんかと、ひたすら塾に通った。
センター試験の英語では8割を取るほどに、苦手な英語を克服した。

机に向かわせてくれたのは、大嫌いだったOだった。

みんな、モチベーションの持っていきかたは様々である。
こういう自分になりたいと、理想をかかげ、それに向かって努力する人がいる。周りに「あいつ分かってねぇ」と思われないよう、努力する人がいる。
わたしにとってのモチベーションは、上のふたつではなく、「あいつには負けねぇ」という気持ちなのだ。どんなに他の考え方で机に向かおうとしても向かえないのが、こう考えるとやる気が沸いてくる。それが今しがた理解できて、すとんとしこりが落ちたようだ。
努力する気持ちがない訳じゃなかった。努力のやり方が間違ってたんだ。

じゃあ、今のわたしにとってのOは?負けたくねぇ「あいつ」は誰なんだろう?

やはり、前職のK先輩である。

俺にいじめられて仕事を辞めたjukkoさん、また次のところでも上手くいってないらしい。やっぱり悪いのは俺の指導じゃなくて、jukkoさん自身の問題だったんだ、なーんて。
下手したら、このままでは思われかねない状態だ。

加えて、わたしは人の話を聞いてスピーディに状況を理解するのが苦手である。
前職でも「お前、俺でも今の話わかったぞ、なんでわかんねぇんだ?」って言われたことも多々あり、、そして徐々に私をスルーする空気が当然のようになっていってたっけ、、、

2年後の職場、いや、半年後の実習で、そんな思いをまたしたくない!
その為に、今知識を詰め込んでおかなければ。


前職でK先輩から何時間も指導を受け、「マゾか!」と他の先輩にも揶揄された。(好きでやってるんじゃないです!と答えていたしそう思っていたが)
自分のモチベーションの保ち方、考えると本当にマゾかも。

この間、土屋太凰ちゃんがテレビに出ていた。
仕事の踏ん張りどころでは、バスケで敵チームに集中マークされたときのことを思い出して、「なにくそ!」と頑張る、と言っていた。
同じだわぁ、と思ったから、案外こういう人は多いのかもしれない。
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[12/03 青やぎ]
[07/07 青やぎ]
[06/12 青やぎ]
[05/24 青やぎ]
[04/30 青やぎ]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
jukko
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
忍者ブログ [PR]

Template by decoboko.jp