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中国から帰ってきた人のブログ。

中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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2月から、受けていた診断の結果を、病院に聞きに行った。

元々、ADHDではないか、と不安になって受けたWAISEというテスト。その際、ひどく落ち込む様子だったようで、先生から心理状態を確認するためのテストを受けないか、と勧められ、合わせて受診した。

結果的にはADHDではなかった。
が、グレーゾーンとのこと。
締め切りが守れない、段取りが立てられないところは当てはまるとのこと。

また、社会不安障害、よく鬱状態との診断も合わせて。通常、治療を進められる値を越えた結果だったらしい。

その診断のあと、耐えきれず退社を決めたのだった。
決めてから、心が晴れやかになるとともに、前よりも厳しい言葉に耐えられるようになった。
退職を伝えてから先輩が少し、優しくなったからかもしれないが。

少し、後悔していた。
優れた尊敬できる先輩が多い職場だし、大企業で待遇も悪くはない。組織が四月から変わるとともに、苦手な先輩から離れることができたかもしれない。それに、一年ってやはり見切りをつけたのが早かったか。。。

今日の診断結果を聞いて、退職はやはり間違いじゃなかった、と思った。
職場のトイレで朝から吐き気と戦ったり、不安で目が覚めたり、生きた心地がしなかった。

仕事はしんどい。
だから、帰ったら、安心できる家や友達が必要だ。
仕事をしながら独り暮らしは、わたしには難しい。

では、退職の準備を進めるぞ。
どんな道を選んだって後悔はしない。そういえるように頑張るのだ。
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お久しぶりです。

ここ2ヶ月間、様々なことがありました。
ブログに綴ると言うよりも、日記帳に書いたり漫画にしたりしながら、日々のやるせない思いを発散しており、ここに来る頻度が少なくなっていました。

昨年からの振り返りも含めて、ざっとしたにまとめます。



2015年 12月
本社、人事より次年度の東京行きを告げられる。住み慣れた地元の生活と、東京での語学を活かした仕事の狭間で揺れる。地元にいる場合は専門学校への入学も考える。(調理師、栄養士、言語聴覚士等)転職活動も同時平行で実施。

2016年 2月
転職活動では中国語を活かした会社にヒットせず。地元での就職は諦める。
本社に行く機会をチャンスととらえ、仕事プラス語学の勉強をしようと決める。
翻訳家を本格的に考える。2015年夏には、翻訳学校のネットスクーリングにも参加するものの、途中で続けられず学費を払ったにも関わらず辞める。が、そこに再度通おうと決める。

4月
ショップから心機一転、オフィスワークでバリバリやろうと意気込むものの、2週間で営業に向いていないことに気づき、辞めたいと思う。うまく会話できない、話の流れが追えない。最初だからまだ周りの目も優しかったが。。

5月
GWに地元に帰ってから、ホームシックが再燃。
仕事に行くのに足が重く、頭も痛い。眠れない日々が続く。仕事での失敗、慣れないことからADHDを自ら疑う。
そんよんから、東京に行く、と連絡が来るものの、それまでに絶対辞めてるだろうな、と半分諦めながら11月に約束をする。
中国語の翻訳教室で、改めて翻訳家の道の厳しさを知る。安定した雇用でない一方、求められるレベルは高い。中国からの安い翻訳会社によるコスト下げ競争も厳しい。高いお金を払ってまでやる必要はない、と、学校通いはやめる。そうでなくても、要領の悪さから来る残業続きで勉強する暇なんてない。
それを考えている矢先、会社から英会話をやらないかと持ちかけられる。当然だがやったら辞められなくなる。会社への建前と本社への気持ちの狭間で迷うが、シンガポール支社への移動の話をそれとなくされて心が動き、受けてみることにする。

6月
クリニックへ2つほど通う。適応障害と診断される。OJTの先輩に診断書を提出し、休職したい旨申し出るが、話し合いの末に休職はせず、業務量を減らしてもらうことになる。
OJTの先輩には週1回の面談をしてもらう。

8月
相変わらず辞めたい気持ちでいっぱい。静岡で大学の友人と会い、帰り際、東京行きの新幹線に乗ろうとして涙が溢れる現象に。いよいよヤバイと思う。
一方で、全然関係ない話題をしていたときに、ふと尊敬する先輩から、「精神病とかうつは甘え」という言葉を聞く。もっと頑張らないと、と思い踏みとどまる。
また、遊びに来てくれた別の友達にも相談したところ、そんなクリニック通うより、友達と美味しいお酒を飲んで会話すれば大丈夫だよ。とアドバイスを受け、それもそうだな、と気を持ち直す。
転職に悩み、また自分の地元(沖縄)に帰るのか帰らないのかはっきりしない彼氏に、やきもきする。1年後の8月までに道を決められてなかったら、危機感のない関係はお互いのためにならないから別れよう、と切り出す。

9月
翌月からひとつ下の世代が本社に来ることに怯える。半年経って、担当を持たされるが、それにも怯える。仕事をできる自信が全くなく、商談の帰り道にこれまた別の優しい先輩に辞める旨を伝える。が、なんか吐き出してスッキリしたのでやっぱりもう少し続けることにする。

10月
ひとつしたの世代の子が入ってくる。同じショップ経験からの本社勤務のため、戸惑う姿を応援したくなる。いろいろと教える立場になり、自分にできることができたことから、安心する。少し持ち直す。あとは、後輩がすっごく性格のいい子だったのもある。これは間違いない。

11月
そんよんが来る。
5月に諦めながら約束したのに、ふわっと11月になっていることに驚く。かなり元気をもらう。
あと、尊敬する先輩から、目をかけられるようになって嬉しく思う。頑張って認めてもらおう、とモチベーションがアップする。

12月
TOIECの結果が300点台だった。かなり上のお偉い上司まで、再度リベンジを誓う。
彼氏から、「なんで親に俺のことを言わないのか」と尋ねられる。それまでは、彼氏と出掛けるときには友達と、と誤魔化して出掛けていた。「なんでだろ、それもそうだね、じゃあ、言うわ。」と、父に話したところ、あれよあれよと会わせろという話になる。

1月
今月の目標「6時半に起きて、出社前1時間を自分の時間に当てる。」→ほぼ目標達成。早起きの習慣が身に付いた。

後輩ちゃんを手伝いすぎて自分の仕事が回らなくなり上司に怒られる。仕事の分担を減らされ、早く帰れと言われるようになる。やはりわたし、仕事できないんだ。。要領悪いんだ。。仕事やりたくない、の負の連鎖をぶり返す。
泣きながら漫画を描いたところツイッターでふぁぼられて嬉しくなり、定期的にツイッターで漫画をアップするようになる。
気が落ち込んだところで、辞めていたクリニックでの、ADHD検査の再開を依頼する。途中で止めていたため、仕事辞める前に白黒はっきりはさせたかった。検査にはテストと面談があるのだが、テストではそういった特徴は見られないようですが。。と首をかしげられる。結果は3月に持ち越しになった。

2月
今月の目標「退職後の計画含め、退職するための準備をする。」
辞めたい辞めたい辞めたい。。と考えて眠れない。しんどすぎて会社のトイレで吐く。
ある日の朝、専門学校に話を聞きにいこう、とふと思いつき、アポを入れる。
2週目に、彼氏と両親を会わせる。父親はそこそこ気に入ったようだ。わたしは、やはり彼氏の今後に対しての考えがあいまいなところに納得がいかない。
専門学校の話を聞きに行く。社会人学生が多いこと、いまは需要が多いこと、結婚してからも安定して続けられる仕事であること、と話を聞き、この学校に通うことを決める。
視界が明るくなる。

翌日、課長に切り出す。
その週中に部長、本部長、人事部と話が進む。引き留められたが、夢があるなら仕方がないね、という話になり、なんとか円満退社が迎えられそう。(←イマココ)


ざっくり一年がこんな感じでした。

まとめ:
つらくなるのは自分のサイクル、周りの先輩や友達は節目節目で助けてくれる。

よかったこと:
自分へ過度な期待をしすぎなくなった。漫画読みすぎかもしれないが、1ヶ月2ヶ月で人間すぐ変われるものではない、と気がつけた。ゆっくりと成長する後輩の姿を見ていたからかもしれないが。。

反省:
一年を通してこれをやりとげたぞ!っていうものがない。英語も、中国語も、仕事も、、どこか中途半端に終わってしまった気がする。


2017年にむけて(遅まきながら。。):
・友達を大事にする。
・つらくなったり負のループに入りそうになったら、もすこし頭の中を整理をすること。もしくは、走ったり、映画を見たりお風呂につかったり、漫画やネットに逃げないこと。
・小さくていいから、毎月目標を作る。自分の成長を目で見て感じられるようにする。


昨日のK先輩との打ち合わせ中に、
仕事を辞める決心をつけた。

昨年4月からずっと見ていただいている先輩である。理屈っぽく、話が長いと部内では専らの評判。
昨年からずっとお世話になるなかで、わたしのそそっかしいところによるミス、誤送信の尻拭い含め、たくさん面倒を見ていただいている。

K先輩からのコメントで、最近目立つのは「それ、こないだも言ったでしょう」。後は、第三者がいる場合は「俺はそう指示出してるし、言ってる。」(それをしてない、できてないのはあなたでしょう?というニュアンスを感じてしまう)

確かに、それはそうなのである。
昨年末に指示を出されていたスケジューリングで、事を進められていないのは私。提出物も、出すという期日に出せた試しがない。
今回も、本来は先週金曜日までに準備すべき資料を、わたしが今日やっと提出したことを叱られた。
「事前に準備や打ち合わせが必要なものなのって分かってたことでしょう?それで進めてねって俺言ったでしょう。」
最もである。
書いていたら、K先輩、そりゃそういうリアクションになるわな、と思ってきた。。

これに対して、わたしが感じていたのは、「俺は俺は」って言うけど、結局それができていないのはあなたの伝え方が悪いからでしょう?何をどうつくっていいのかも分からない、見本もない、で放り投げるのをキャッチするのも大変なんだから、期日に遅れたのは確かによくないけど、全部が全部わたしの責任じゃない!
っていうこと。
で、それが態度に駄々もれで、ていうか泣きそうだった。他の先輩にも、「jukkoさん、顔暗いけど大丈夫?」って茶化しながら言われたけど、あの先輩にも気を使わせたなあ。。申し訳ない。

でも、K先輩に対して納得できなかったのは他にもある。
年末に指示された、取引先Aに対して納期を早めて伝えて、と言われた指示。 取引先Bへは大きなハレーションも出ないだろうから、はやく伝えろ、と。
わたしは、そのまま伝えると取引先Bに対してハレーションが起きるだろうなと思って、他の先輩に相談したら案の定そうで。
ただ、年末だから先方にも伝えられず、年始に動こうと。

年始の先週、その案件を放置していた。昨日になって動き始め、打ち合わせに入った時点では、K先輩の指示だったはずの納期を早める話は、何故かわたしが言い始めたことになっていた。
結局取引先Bにも伝えたんだけど、案の定お叱りの言葉をもらう。K先輩は、言う。「だから、jukkoさんが言い始めた納期を早めるっていうのは、、、」
いや、言い始めたのはあなたじゃないの?って思った。でも、ここで言った言わないの話をするのは逆に自分の評価を落とすな、そういうことじゃないでしょうって反論されるだけだから。と思い我慢したのだけど、それが顔に出てたんだな。

とにかくそういうのがうまい。自分の責任にならないように、とリスクヘッジするようなやり方。うまいことその煽りをわたしが食わされている。腹立ってきた。

でも、そう見られて仕方ない。K先輩はちゃんとやってて、きちんとできてないjukkoさん、という状況を作り上げてしまっているわたしも悪い。納期を守らない、残業が多い=仕事が遅い、というのが特にそう。

腹立つし、なんとかぎゃふんと言わせたいけど、K先輩と一年近く一緒に仕事をして来て、この人から学ぶこともないし、20代の時間の無駄だ、と思う。
だから、今持ってるこの案件に見切りがついたら辞める。 

それまで、ここから先は、同じような怒られ方、責任のなすられ方をしないようにする。
周りからの評価も、ちゃんとやってるjukkoさんをくどくど長い言い回しで怒り続ける指導の下手なK先輩。という認識を植え付けられるように。

がんばろ。
新年早々、カウントダウンライブでジャパハリネットを見た。
ライブは大盛況だった。
ボーカルの人の話す言葉は自然と耳に入ってきて、聞きたいと思ってしまう。
人を引き付ける力があると思った。
音楽に興味がないわたしでも名前を知っているくらい、有名なバンドなだけあるなと思った。

『言葉にできるは武器になる』
という本を読んでいる。
・言葉にできないのは、考えていないのと同じ。
・自分で考えた言葉、内なる言葉さえきちんと言語化できていれば、言葉数が少なかろうと、人を納得させる説得力のある話を話すことができる。

自分が出来ないぶん、人を引き付けて、説得力をもって話せる人の話に興味がある。
説得力のある言葉って、人からの又聞きじゃなく、自分で考えた末出てきた言葉だなと思う。

自分が出来ないことからくる憧れがひとつ、
自分の考えに沿って行動して生きていきたいから、みんなどう考えてるのかなって興味があるのがひとつ。
今年は、ひとの話聞くだけじゃなく自分で考える一年にしよう。
昨日頼まれた資料が、なかなかできなくて今日は0時まで先輩に助けてもらって資料作ってたよ、てへぺろ。

ポンコツの誰かさん、と半ば揶揄されながら
それでも0時までお付き合いいただいた先輩、すいませんでした。ほんとわたしと関わるとろくなことないよってメンへラアピール。

例えば、エクセルの足し算もろくにできない。
今年度の実績とその合計値が、次年度○%プラスになるという表。合計値まで掛ける○%してしまい、各項目と合計値が合ってない!!!!!!

先輩に言われたことをそのまま表に入力して、ちっとは自分で考えろよ!と言われおたおたする始末。あったま悪いなあ自分、とフォローのしようもない。
目を背けたくなる。
で、目を背けるんだけど、そうするとそこからなんの進歩もないんですよねえ。

このプロジェクト、4月頃まで続く予定。
また先輩を同じ目に合わせてしまったらしょーもないよ。もう、こんな思いをさせるのもするのも嫌なんだけど、苦役列車は果てしなく、無情にも明日からの三連休だって三日で終わってしまうんだから。

わたしの駄目なところ。
ここまで打って既に目を背けたいけれど、ゆうよ。有言不実行なところ。

jukkoさん、この資料何時までにできるの。あと1時間でやります!からの6時間。

jukkoさん、資料できた?
まだです。もうちょっとです。からの6時間。

なんなの、じゃあ6時間かかりますって言えばいいの。わたしの資料作成のスピードが遅いの?他の人はもっと速いの?なんなの。もういや。いや。

会話だってうまくできない。
人と話ができない。
沈黙が続くことが多い。
しんどいよ。

今日はほんとに朝からずーっと先輩に同行して営業先を回ってたんだけど、中途半端な沈黙が多すぎたもんね。先輩、気まづい思いをさせてごめんなさい。

人と話しているといつもそう。
うわべだけで話してるなって気づかれると、気まずい沈黙が流れるの。沈黙で値踏みされてるなって思う。人としての価値を。

資料作成は遅い。
コミュニケーションは下手。震えながらの会話。
記憶力も悪い。段取りも悪い。残業ばっかり多くて仕事が遅いって言われる。
向いてない。無情にもそう思う。

生きていくのに時間もお金も必要なのに、
なんでうまくコントロールできないんだろ。
こんな生きるの下手くそなやつでも、これからどうしても生きていかないといけないの?もういいよ、疲れたよ。どうしようね。

どうしようね。
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