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中国から帰ってきた人のブログ。

中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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お久しぶりです。

ここ2ヶ月間、様々なことがありました。
ブログに綴ると言うよりも、日記帳に書いたり漫画にしたりしながら、日々のやるせない思いを発散しており、ここに来る頻度が少なくなっていました。

昨年からの振り返りも含めて、ざっとしたにまとめます。



2015年 12月
本社、人事より次年度の東京行きを告げられる。住み慣れた地元の生活と、東京での語学を活かした仕事の狭間で揺れる。地元にいる場合は専門学校への入学も考える。(調理師、栄養士、言語聴覚士等)転職活動も同時平行で実施。

2016年 2月
転職活動では中国語を活かした会社にヒットせず。地元での就職は諦める。
本社に行く機会をチャンスととらえ、仕事プラス語学の勉強をしようと決める。
翻訳家を本格的に考える。2015年夏には、翻訳学校のネットスクーリングにも参加するものの、途中で続けられず学費を払ったにも関わらず辞める。が、そこに再度通おうと決める。

4月
ショップから心機一転、オフィスワークでバリバリやろうと意気込むものの、2週間で営業に向いていないことに気づき、辞めたいと思う。うまく会話できない、話の流れが追えない。最初だからまだ周りの目も優しかったが。。

5月
GWに地元に帰ってから、ホームシックが再燃。
仕事に行くのに足が重く、頭も痛い。眠れない日々が続く。仕事での失敗、慣れないことからADHDを自ら疑う。
そんよんから、東京に行く、と連絡が来るものの、それまでに絶対辞めてるだろうな、と半分諦めながら11月に約束をする。
中国語の翻訳教室で、改めて翻訳家の道の厳しさを知る。安定した雇用でない一方、求められるレベルは高い。中国からの安い翻訳会社によるコスト下げ競争も厳しい。高いお金を払ってまでやる必要はない、と、学校通いはやめる。そうでなくても、要領の悪さから来る残業続きで勉強する暇なんてない。
それを考えている矢先、会社から英会話をやらないかと持ちかけられる。当然だがやったら辞められなくなる。会社への建前と本社への気持ちの狭間で迷うが、シンガポール支社への移動の話をそれとなくされて心が動き、受けてみることにする。

6月
クリニックへ2つほど通う。適応障害と診断される。OJTの先輩に診断書を提出し、休職したい旨申し出るが、話し合いの末に休職はせず、業務量を減らしてもらうことになる。
OJTの先輩には週1回の面談をしてもらう。

8月
相変わらず辞めたい気持ちでいっぱい。静岡で大学の友人と会い、帰り際、東京行きの新幹線に乗ろうとして涙が溢れる現象に。いよいよヤバイと思う。
一方で、全然関係ない話題をしていたときに、ふと尊敬する先輩から、「精神病とかうつは甘え」という言葉を聞く。もっと頑張らないと、と思い踏みとどまる。
また、遊びに来てくれた別の友達にも相談したところ、そんなクリニック通うより、友達と美味しいお酒を飲んで会話すれば大丈夫だよ。とアドバイスを受け、それもそうだな、と気を持ち直す。
転職に悩み、また自分の地元(沖縄)に帰るのか帰らないのかはっきりしない彼氏に、やきもきする。1年後の8月までに道を決められてなかったら、危機感のない関係はお互いのためにならないから別れよう、と切り出す。

9月
翌月からひとつ下の世代が本社に来ることに怯える。半年経って、担当を持たされるが、それにも怯える。仕事をできる自信が全くなく、商談の帰り道にこれまた別の優しい先輩に辞める旨を伝える。が、なんか吐き出してスッキリしたのでやっぱりもう少し続けることにする。

10月
ひとつしたの世代の子が入ってくる。同じショップ経験からの本社勤務のため、戸惑う姿を応援したくなる。いろいろと教える立場になり、自分にできることができたことから、安心する。少し持ち直す。あとは、後輩がすっごく性格のいい子だったのもある。これは間違いない。

11月
そんよんが来る。
5月に諦めながら約束したのに、ふわっと11月になっていることに驚く。かなり元気をもらう。
あと、尊敬する先輩から、目をかけられるようになって嬉しく思う。頑張って認めてもらおう、とモチベーションがアップする。

12月
TOIECの結果が300点台だった。かなり上のお偉い上司まで、再度リベンジを誓う。
彼氏から、「なんで親に俺のことを言わないのか」と尋ねられる。それまでは、彼氏と出掛けるときには友達と、と誤魔化して出掛けていた。「なんでだろ、それもそうだね、じゃあ、言うわ。」と、父に話したところ、あれよあれよと会わせろという話になる。

1月
今月の目標「6時半に起きて、出社前1時間を自分の時間に当てる。」→ほぼ目標達成。早起きの習慣が身に付いた。

後輩ちゃんを手伝いすぎて自分の仕事が回らなくなり上司に怒られる。仕事の分担を減らされ、早く帰れと言われるようになる。やはりわたし、仕事できないんだ。。要領悪いんだ。。仕事やりたくない、の負の連鎖をぶり返す。
泣きながら漫画を描いたところツイッターでふぁぼられて嬉しくなり、定期的にツイッターで漫画をアップするようになる。
気が落ち込んだところで、辞めていたクリニックでの、ADHD検査の再開を依頼する。途中で止めていたため、仕事辞める前に白黒はっきりはさせたかった。検査にはテストと面談があるのだが、テストではそういった特徴は見られないようですが。。と首をかしげられる。結果は3月に持ち越しになった。

2月
今月の目標「退職後の計画含め、退職するための準備をする。」
辞めたい辞めたい辞めたい。。と考えて眠れない。しんどすぎて会社のトイレで吐く。
ある日の朝、専門学校に話を聞きにいこう、とふと思いつき、アポを入れる。
2週目に、彼氏と両親を会わせる。父親はそこそこ気に入ったようだ。わたしは、やはり彼氏の今後に対しての考えがあいまいなところに納得がいかない。
専門学校の話を聞きに行く。社会人学生が多いこと、いまは需要が多いこと、結婚してからも安定して続けられる仕事であること、と話を聞き、この学校に通うことを決める。
視界が明るくなる。

翌日、課長に切り出す。
その週中に部長、本部長、人事部と話が進む。引き留められたが、夢があるなら仕方がないね、という話になり、なんとか円満退社が迎えられそう。(←イマココ)


ざっくり一年がこんな感じでした。

まとめ:
つらくなるのは自分のサイクル、周りの先輩や友達は節目節目で助けてくれる。

よかったこと:
自分へ過度な期待をしすぎなくなった。漫画読みすぎかもしれないが、1ヶ月2ヶ月で人間すぐ変われるものではない、と気がつけた。ゆっくりと成長する後輩の姿を見ていたからかもしれないが。。

反省:
一年を通してこれをやりとげたぞ!っていうものがない。英語も、中国語も、仕事も、、どこか中途半端に終わってしまった気がする。


2017年にむけて(遅まきながら。。):
・友達を大事にする。
・つらくなったり負のループに入りそうになったら、もすこし頭の中を整理をすること。もしくは、走ったり、映画を見たりお風呂につかったり、漫画やネットに逃げないこと。
・小さくていいから、毎月目標を作る。自分の成長を目で見て感じられるようにする。
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