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中国から帰ってきた人のブログ。

中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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今日実家に帰って感じたことをまとめようと思う。

タイトルは、最近放送しているクドカンのドラマ風。

 

 

今日実家から帰ってきて、パートナーである彼へこう伝えた。

「仕事は、無理せずほどほどの仕事を探した方がいいよ。」

そう思った経緯についてだ。

 

実家へは隔週くらいで帰っては、母親と話したり犬をなでたりしている。

母親がスマホを変えたとかで、20時頃まで実家にいたところ、父親のイライラが爆発しそうであった。

帰り際、車まで見送りに来た母親が言った。

「最近、お父さん休みの日はぐうたらしてるし、物忘れも多いし…」

 

父親との短い会話の中で、父の「老い」を感じるところがあった。

昔の写真を引っ張り出して渡したら、かつての教え子(父は元教師)たちの顔を見て

「こいつらの名前、全然思い出せん…」と頭を抱えていた。

Paypayの設定をしてあげたら、認証コードを短時間の間に覚えていられなかった。

買ったばかりの新車のバンパーをぶつけたと言っていた。

健康診断で、肝臓の数値があまり良くないらしく、酒量を尋ねると2~3日置きに焼酎4.5杯と…。

 

じわじわと。日常生活を侵食するように、少しずつ小さな引っ掛かりが見えてくる。

仕事でそれが取り返しのつかないことにまでなってしまった人を見る機会が多い分、

引っ掛かりを小さなものとして見過ごすことができない心境である。

 

イライラとした会話を交わして家を出たが、考えるにつれ思ったのは、父は寂しい人だなあということ。

なんせ趣味が墓参りなのだ。亡くなった両親(特に母親)のことを慕う様子がここ最近加速しているように思う。

恐らくその調子だから職場でもなじめていないのだろう。「もう辞めたい」と漏らしていたと、母親から聞いたことがある。

父親の実家(つまり本家)の傍に住んでいるが、本家を守る父親の兄、兄嫁とはそりが合わない様子。説教ばかりされるようだ。

友達も、時々連絡を取り合う程度の様子。

教員時代は週末部活で忙しくしていたが、それも退職してから無くなった。

母親はと言うと、「お父さんと一緒にいるのは場が持たない、退職してからも仕事を続けることになって良かった」と外へ出ていく気満々。

息子(わたしの弟)は無関心。娘(わたし)とは話すものの何かにつけ小競り合いが絶えない。

つまり、居場所がないのだなあと。

 

自分の姿が重なる。

東京で、一人孤独で死にそうだった自分と。

父娘だから似ているのだろうか。私も自分の情緒に毎日をかき乱されて半端ない。

この内から飛び出てくる衝動と、孤独に向きあうことも出来ずに酒に溺れ、不機嫌さを醸し出しているのだろうか。

 

父親は昔からぶれない。構ってほしい、話を聞いて欲しい父親。

そして、母親も昔から変わらない。

母親は外の世界にひっぱられすぎている感がある。父親だけでなく、私も、弟も、「二の次」出会った部分は感覚としていなめない。

もちろん本人は精一杯なので、何も言えないのだが…。

「二の次」とジェラシーに満ちた言葉で形容してしまう時点で、我々は母親に依存しているのかもしれないが。

 

そんな父と母がどうやって出会ったかというと、「お見合い」

それまでに何回か断られていた父親と、お見合い一発目だった母親。

「こんなに恥ずかしい思いを何回もしたくないので、ここで決めてしまおう」と、一回目のお見合いで交際OKを出した母の判断から始まった2人なのだ。

お見合い、家同士の釣り合いややり取りはスムーズかもしれないが、本人たちの性格すり合わせに関しては問題がある制度なのでは…。

少なくとも、我が両親に関して言えば。

 

そんな両親を見て育った私は、親と同じ轍は踏まないよう、自然と考えていたかもしれない。

母親の様に仕事に忙殺されたくないから、自分の時間を持てるような別の仕事を選んだ。

父親とは反対の、趣味があって友達がいる人を選んだ。父と同様に、決して外向的ではないけれど。

それで、良かったところもあるし、悪かったところもある。

でも、自分の人生には概ね満足している。

 

それが、最初のセリフに戻る。

「仕事はほどほどにした方がいい」

自分の時間を持って、仕事半分、趣味半分に生きた方がいい。

 

父親、これからどうなるか。

間違いなく悪い方向に転がりかけているのだろう。

娘として、何かできないか。居場所づくりに一役買えないか。

父親がこのまま若年性認知症になって介護が必要にならない様に、食い止めたいという気持ちがある。

必要なのは友達であり、居場所。

一緒に料理教室へでも行くか。定期的に会う知り合いを増やしてあげるか…。

 

それを彼へ伝えたら、「いきなりはやめたほうがいいんじゃない」と。

「深海魚をいきなり明るいところへ連れだしたらパンクしてしまうよ。

最初は、知り合いからがいいんじゃない。俺とか、一緒にどこか出かけたりするし」と。

なんとありがたい言葉だ。

一人で立ち向かわないといけなかった家族の問題に、一緒に戦ってくれる人が出来た。

それが全てではないけれど、結婚してよかった、と思った‥。

 

以上が、わたしの家の話。

ここから、話がどう転がっていくのかは、また事態が変わればブログにあげようと思う。

願わくば、良い方向に進みますように…。

 

 

 

 

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あー、まじで人生しんどい。

どこにいっても仕事遅いし丁寧だけど要領が悪い人間なもので、どの職場でも抱える問題が同じテーマなの進歩がない感じしてしんどいな。

前回のブログの内容を彼に伝えたところ、昨晩怒って家出されました。
なんでや。

私が言われたい台詞ナンバーワンなのに。
契約社員やパートでもいいよって。

「俺のこと障がい者扱いするな、ショックだわ。」だって。
悪い意味で男らしさにとらわれてるんじゃないの。
出来ることをやればいいのに。


まあ、これまでの退職きっかけが腰と細かい作業だったから、それ以外で探せばいいんじゃない。
見つかるかわからんけど。

旦那さんの挙動を見ていて、無性に不安になることがある。

 

例えば。

指輪を見に行ったのだが、試着の際にあえて少し緩いサイズを選ぶ。

もう少しサイズを下げた方が…と店員さんに促されるが、「抜けなくなると怖いので」と試着も拒否。

不安障害?的なもののタネが現れているのかな…とか。

 

現在職業訓練校に通っている。

私も専門学校に通った同じ経験を持つので、「仕事と比べてまだ気持ちが楽でしょう」と聞いてみると、

「全然楽じゃない。毎日気が重いし、夜中3時と目覚ましが鳴る10分前に目が覚める」という答え。

あくまで自分の経験則を基にして言うのだけれど、学校はまだ自己責任。会社になると責任はもっと重くなる。

今の状態でそんなにプレッシャーを感じていたら、働き始めてどうなるのだろう…とか。

 

そして、これはあくまで他者との比較なのだけれど。

結婚して順調に子供が生まれる従姉とか、インスタグラムにマイホームと子供の写真をアップしている友人とか、

しっかり仕事をしている旦那さんを持つ友人や同僚を見ていると、無性に不安になってくる。

言ってはいけないことだけれど、この人じゃなければ手に入れられた普通の幸せ、というものが、あったのではないか。

それを手にするチャンスはあったのに、何故この人を選んだのだろう…とか。

 

そんなことを考えていると、段々と憂鬱になってくるのだ。

 

 

 

****

 

 

 

ある日、テレビで、若手官僚の長時間労働を取り上げているのを見た。

年齢は、私と同じ31歳の女性。

朝8時出勤、前日会社を出たのは午前1時。

メールは1日500通。ようやくありついた昼食はコンビニで買ったもの。

予定の打ち合わせが午後5時に終わり、戻ってそこからまた資料をまとめ‥‥

 

残業時間100時間を超える人が10人に4人いる世界。これくらいの働き方は、別に珍しくもないのだろう。

物凄い倍率の試験を突破して、責任あって難しい仕事を7年も続けている。この時点で脱帽する。

 

東京にいたときの生活は、これよりましだったし仕事内容だってそんなに責任のあるものでなければ多くもなかったけれど、

24時間の中に占める労働時間の割合が増えるにつれ、私の心は削られていった。

 

今、地元に帰ってゆるくも人間らしい生活サイクルで過ごしている。

しんどいこともあるけれど、時々ふと東京の生活を思い出す。

あの時、あのまま東京に残る選択をしていたら、私は死んでいたかもしれないな…。

 

人によって価値観は違う。

社会的に責任の大きな仕事をやること、バンバンお金を稼ぐこと、そこにも価値はあるだろう。

最近見たNetflixのドラマを思い出す。(たしか、『エミリーパリへ行く』)

「フランス人は、生きる為に仕事をするんだ。仕事する為に生きてるんじゃない。」

私にとってもこれだなあ、と思う。

仕事は、充実した生活環境を得るためのサイクルのひとつ。生活の糧を得る為のもであるし、社会的貢献という充実感を得るためのものでもある。

朝起きて夜寝て、5日働いて2日休むという生活サイクルを作る為のもの、また仕事で身体を動かすことで体力を維持する為のもの。

ただ、それ中心に全てが回ってしまうものではない。

私にとっては余暇の時間があり、家族と過ごす時間の方が、重要な時間だと考えている。

 

 

そういう生活が出来ている時点で、私は幸せなのだと思う。

他人の家庭がなんだ。旦那の職業がなんだ。

毎日充実した生活が得られているではないか。

 

 

ここで、ある文章を紹介する。

『道は開ける』(D.カーネギー/東条健一訳,2014年)より 一部抜粋



問題解決の簡単な方法がある。

エアコンの発明者キャリア氏が考案した「魔法の方法」だ。

3つのステップで行い、魔法のような効果がある。

 

ステップ① 起こり得る最悪のことを考える

ステップ② 最悪のことを受け入れる

ステップ③ 最悪のことを改善する

 

「真の心の安らぎは、最悪を受け入れることでやって来る。」

最悪のことさえ受け入れてしまえば、もはや失うものは何もない。

 

 

 

 

上記に当てはめて考えてみる。

ステップ① 旦那さんは転職活動が上手くいかず、職を転々とする。

      それでも、事故に遭ったわけでなければ犯罪を犯したわけでもない。五体満足だし、趣味もあって友達もいるのだ。

 

ステップ② まず、私には正社員の仕事とボーナス含めたお給料がある。手取りは多くは無いけれど、先輩方も同等の給料(2年目の私よりは多いだろうが)で、

家を買い、子育てをしている。旦那さんが仕事がうまくいかなかったからといって、私一人の収入でやっていけないはずではないはずだ。

基本は私の給料をベースに考えて、彼の収入が入ればラッキー。くらいに考えれば、少し気持ちが楽になるのではないだろうか。

 

ステップ③ 私一人の給料でやっていくとして、お金の上手な運用の仕方や、今後の計画を速めに立てた方が良い。

幸い私の地元には両親がいて、二人とも元気にやっている。子供が出来たら、彼らに子育てを手伝ってもらいながら仕事をすれば、安定した収入を得ながら

子育てが出来るだろう。

 

ここまで考えて、私は自分が冷静に物事を考え始めていることに気が付いた。

状況は一部に悪い部分もあるものの、恵まれている部分もある。そこに気付くことが出来たのだ。

 

そしてなんだか段々、気持ちが高ぶってくる。

これまでの人生の一段階と同じではないか。

大学進学を決めた時、留学を決めた時、転職を考えた時。

現状を把握したうえで、情報を収集するのだ。その上で、最善と考えられるものを選んで、計画していくだけだ。

例えば、週末の買い物をして、食材をどう上手く配分しておかずを作ろうか、と考える事と同じことだ。計画を立てて、あとは遂行していくだけ。

 

「まけへんで。」

これは、ジェーン・スーさんと堀井美香さんが最近始めたポッドキャストで言ってたフレーズ。

「まけへんで。」そう、私の人生、モチベーションは結構これだったりする。

 

まけへんで、この状況に。

まずは情報収集。情報があるかどうかで選択肢の幅は広がる。

ウェディングプランナーだって、携帯ショップの店員だって、大事なのは知識を持っているかどうか。

 

その知識に関してだけれど、最近読んだこのブログ。

日本から捨てられた土地で生まれて


地方民と都会の人たちでは、毎日目にする電車の中吊り広告からして入ってくる情報量が違う。

それが引いては、格差につながっていくという部分が印象に残る。

田舎とか関係なく、自分で取りにいかないと情報は入ってこない。アクセスする手段ネットの面では割と均等かも。

制約された状況だからこそ、ぼーっとせずに情報とりにいくぞ。

結婚指輪も前撮りも結婚式だって、めちゃくちゃいいものにしてやるんだから!

(今まで何もやっていなかった反動か…)

 

まけへんでえ~!

 

 

 

 

 


 


お久しぶりの投稿です

最近、彼が毎日勉強をしている…当たり前だが。
だがしかし、夕食を食べておなかいっぱいになり仮眠→朝まで爆睡コースもしばしば…。
そういうとき、私もつられて寝てしまったりもしばしば(^-^;


今日仕事を終えてなんだか目標がほしい!と思った。自主勉強ももちろんなのだけれど、●月●日にある試験のために準備する…というような。

まぁ、12月に前撮り、来年5月に結婚式があるじゃないと言われればそれまでなのだけれど(^-^;
なんか、人のためだとやる気が出るのに、自分の時にはインスピレーションが沸かない~となってしまう。

彼と一緒に簿記でも勉強しようかな。
中国語もやりたいのだけれど、悲しいながら勉強しても実生活に役に立たないのが空しいというか…
観光客も来ないから、ボランティアガイドってのもできないしな。
2020年そうこうしてるうちに終わってしまう!

また、なにかあれば近況書きます。

友人と話した。
非常に彼のことを怒ってくれるいい友人で、
「彼の人生は彼の人生、彼の責任だからいい。jukkoちゃんが巻き込まれているのが腹が立つ。」と怒ってくれる。

でもそれを聞いて非常にモヤモヤして、

それはなぜかと考えた。

人から見て、私の選んだ伴侶が「良くない」とレッテルを貼られていること。

つまり、私の選択は人から見て「良くない」こと。

それが、ショックだった。

でも、ショックのポイントがそこって…。

彼と私の関係に立って考えたのではなくて、人からどう見えるか考えている時点で、なんか私も彼と同系列と言うか。

彼が私をうまく利用して(意図的ではないにせよ)楽に人生を送っているのと同じく、彼を利用してるのは、私も同じだなって思った。

友人と話してきて、今、
彼にたいして引いてる自分がいる。

でもこれは、シンプルに友人からの影響を受けまくっているからだとおもう。

もっとちゃんと自分で考えて動けよ。
っていう、周囲から見たイライラを。
でも、私もそう思っているけど…。

あー、もうすぐ誕生日なのに。
こんな気持ちで迎えたくないや。
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