中国から帰ってきた人のブログ。
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今週は最終講義日の週なのですが、楽しく受けていた授業が悉く終わる事に一抹の寂しさを感じます。
中高までなら、その寂しさを共有できる仲間がいたのに、それを共有できる人がいないことにも。
特に水曜日は大好きな日本文学史と中国文学史があったのですが、それも両方終わってしまいました。
毎回前の方の席で、態度だけは熱心に聞いていた先生の話もそれぞれ締めくくられて、誰もいない教室で、来期の授業がないことを実感して溜息をつきたくなりました。
後期の生活の一番を占めていた、授業達が終わっていくこと。
それは自分が否応なく春休みという形を取って学校から締め出され、卒業という形で社会に追いやられることです。
私は「いつもの」生活が終わることが大嫌いなのです。卒業も、引退も、3月という季節も。
ああ、それも今日一回の授業を残して本当に終わってしまうのです。
ゼミには知り合いと呼べる知り合いがいません。
例によって最初の飲み会には八方美人に顔を出したものの、段々と遅刻が多くなって一つ下のゼミ生の一人の名前すら覚えていない。
今日は卒論お疲れ様のゼミコンパなのだけれど、知らない人と飲むのもないわと、入ってもないバイトを理由に欠席します。
昨日で最終を迎えたゼミも、連絡事項のみで終わり、あとは卒業式の後どうするかという話し合いで学生だけが残っていました。
皆どうする、どうすると周りを伺いながら結論の出ないまま雑談の流れで、雑談する相手もいない私は早く帰りたかった。
とうとう一人がコートを着出したの(恐らく寒いから)を見計らって、自分も上着をひっかけて帰ろうとしたところで、「今卒業式後どうするかという話し合いをしているんですけど…」と声をかけられました。
帰るべきでないという空気を察せなかったことに、しまったと思いましたが、連絡をくれるという彼女の言葉にほっとした。
教室を出てから、
卒業式の日はゼミで写真を撮る相手もおらず一人なんだろうなとか、
先生を慕ってこの大学にきてゼミに入ったのに中途半端な別れ方になるなとか、
アウェイ感たっぷりの8回生の人も行くというのを聞いて、私もゼミコンパ行けばよかったとちょっと後悔してしまったのとか
一日バイトと嘘ついたけど、今日学校で姿見られたらしょうもないなと思ったりとか
小さな、取るに足らないようなことに胸がもやもやするのは止まらなかった。
同い年で働きながら芥川賞を取った人だっているというのに、23年という同じ時間の流れの中で、私はまだこんな些細な事にチリチリしている。
人と比べてもどうしようもないと分かっているのだけれど、周囲に一緒に卒業を祝いあえる仲間がいないことにも、寂しさを共有できる友達がいないことにも、何も無い自分にも苛立ってしょうがない。
卒業論文での主張が、未だにはっきりしていないことにも焦りを感じる。
口頭試問を控えて、あの厳しい先生の目の前でそれを主張しなければならないのに、私は未だに卒論から目をそむけてばかり。
逃げる自分に苛立つし、自分じゃどうしようもないから誰か助けてという甘えに身を沈めたって来週は結局やってくるのだ。
他にもあるレポート4つに手すら付けていない。不器用の塊。
それでも大学から追い出されたくないという社会に入ることへの怯み。
段々と現実味を帯びてくる仕事内容に恐ろしさを感じる一方で、諦めもある。
大体私はお金の為に会社に働きに出るのであって、それ以上でも以下でもない。
息を止めて水の中にもぐるように、一切の諦めを以て観念してしまえばいいのだと思う。
水着を着て、ゴーグル付けて飛び込み台に立って、飛び込みのポーズまでして、「嫌だいやだ」と地団駄踏んでも仕方がない所まで来ているのだ。
流れに任せて、息を止めて潜っていくように研修に参加し、仕事をこなしていくのでしょう。これから。
ああ、働きたくないし遠くに行きたい。
出社前、仕事終わりの執筆活動、新入社員でもあるのに、
よくやりますよね。
彼の「何者」っていう就職活動を題材にした本が気になってます。
一個下と混じってのゼミですか。
自分もそれが嫌なのもあってゼミ復帰しませんでした。
ゼミは孤立したら地獄ですよね。
1月いっぱいは忙しそうですが、頑張ってください。
「何者」読みたいですよねーw
仕事しながらって、相当な根性か好きかじゃないとできませんよね。
もうゼミの何とも言えない距離感がめんどくさいです…。
普段は個人プレーでもなんともないんですけど、こういうイベントの時困りますよね。
中学校のクラス替え後の休み時間の何とも言えないおろおろ感を思い出しました…。
1月もうちょいなんで頑張りますー。