中国から帰ってきた人のブログ。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「ふくしまノート」
(リンク先:http://sukupara.jp/plus/mag_top.php?manga_id=37 )
2013年が始まり、東日本大震災はもうおととしのことになってしまった。
原発、放射能、続く余震、避難民等、おそらく問題は山積みなのだが、西日本に住む我々にとっては報道で大々的な特集が組まれるか、身近に避難民が引っ越してくるかでもしなければ、その危機を間近に感じることはない。
これは「幸い」なことなのだろうか。
漫画では、東日本大震災から1年以上を経て未だに危険区域となった家へ帰れない人たちの悩みがつづられる。
仕事、結婚、子育て、家族との生活。
日本人として当たり前にあるものが、避難という分断によって当たり前に感じられなくなる生活。
例えば、先の「ふくしまノート」の第五話より、このページを見てほしい。
(リンク先:http://sukupara.jp/plus/mag_detail.php?manga_id=37&story_id=278&page_no=6 )
福島県南相馬市から遠く離れ、山形へ避難した家族。
時々南相馬市の家へ帰って、自室のベッドで迎える夜、小学生の長男は思う。
『ずーっとおきててこの部屋みてたいなー…』
地震以後も当たり前に続いている西日本、いや「避難民以外の日本人」の生活とは、違うものがあることを、
そしてそれは地震前後の非日常にだけではなく、現在も進行形で続いている現実であることを、まざまざと感じさせられた一コマだ。
報道されないから、マスコミが取り上げないから、世の中の人が騒がないから。
だから、原発や放射能問題について目を向けないでも大丈夫なのだろうか?
政府がOK出したから、その場所は、本当に安全なのだろうか?
≪第3話に出てくる一家は、自宅付近が「解除準備区域」になって帰る準備が整えられる一方で、基準のあまりの高さに『大好きな地元に帰れるではなく、そんなところに帰らされるんだとしか思えない』と語っている。≫
(リンク先:http://sukupara.jp/plus/mag_detail.php?manga_id=37&story_id=237&page_no=12 )
福島から遠く離れた西日本に住む私たちの元にだって、その危険性は潜んでいるかもしれない。
関東圏で収穫された野菜が、多くは関西圏で出回っている。関東圏の人たちが九州産や西日本産を選んで食べている一方で。
放射能汚染水の流出した日本海近海で捕れた魚は安全かどうか?
ここでは、情報元のない懸念をあることないこと書き立てるのを目的とはしていない。
東日本大震災が過去の記憶として忘れられかけている現状がある一方、未だにそこから抜け出せていない人々が多いということ。
報道されていないからと、気にかけなくなっている食への危険性が、自分自身の身近なところへ迫っているということ。
それらを忘れない努力が必要だということだ。
山本太郎を滑稽だと馬鹿に出来るだろうか?
震災慰問ライブを開催するアーティストを、「原発に代替可能なエネルギー源も提案できないまま好き勝手なこと言うな」とみて見ぬふりしていいのだろうか?
報道で日常的に見られないから、被災地の人たちを、遠い国の戦場で飢える子どもと同じ様に、切り捨てていないだろうか?
何がしかの言い訳をしながら、考えることを諦めていないだろうか?
私はこの記事を書いたからと言って、
今のところ被災地へ飛んで行く計画もしていないし、デモやなんやかんやと社会活動に参加する予定もない。
それは至極卑怯で口ばかりの行動に映ると思う。実際そうだ。
ただ、このマンガとこの記事を、自分が震災問題へ興味を持っているという格好付けやポーズに利用するつもりはない。
このマンガを見るまで被災地への関心などほとほとに薄れていた。
あることは知っている、けれど深くを追求しようとはしていない。
このマンガを見て、「知るべき」だと思った。
放射能問題が、自分や家族にまで影響を及ぼす可能性が大きいという自己防衛的な危機感からくるものが大きい。
しかし放射能も、核も、避難民も、全ては繋がっている問題だと思うのだ。
福島の問題へ関心を持ち続けていくこと。忘れないこと。
しかも数十年のスパンで。
それは重要な態度であると思う。