中国から帰ってきた人のブログ。
中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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3が日の忙しさと、いとこのこども、H君からもらった風邪があいまって扁桃炎になった。
生まれて初めて点滴をした。
一昨日、昨晩と38℃ごえの高熱で深く眠れず、かといってスマホやラジオもやる気にならない。
やる気がないと言うよりは「やれない」と言う。発熱で脳が湯だっているのか外からの情報処理がしきれない。寝ながら聞けるラジオだって、音が入ってくると脳のどこかが働くのかそれだけで疲れてしまう。YouTubeなんかとなると、視覚と聴覚合わせて処理が2倍に。とても疲れて触る気も起こらない。
かといって、なにか考え事が出来るかと言えばそんな体力もなく。ひたすら暇していました。
学校で学ぶ脳の処理能力を身をもって体験したり。普段の生活で何の気なしに見てるスマホもテレビもラジオも、どこかで脳が情報を処理してるわけだ。そりゃ、寝転がってスマホ見てるだけでも疲れて日が暮れるわけだ。
あとは、体が動かないってしんどいなぁと。一時は体が動かず母にりんごを口に突っ込んでもらい、実習で食事介助の要支援者の気分。他人のリズムで食物を口に突っ込まれるのって、恐ろしくしんどい。飲み物も喉を通らない。しんどくて食べる気が起きない。
昨年7月に看取った祖母の最後を思い出したりもした。ずっと「しんどい」と口にしていた祖母も、同じ、それ以上の気持ちだったのだろうなぁと。
抗生物質に腸内フローラを殺されて、襲い来る腹痛を耐えながら、先ほど寒中見舞いを書いた。といっても10枚にも満たない。そして、宛名の友人たちの苗字が変わったり、夫婦二人への宛名になったりするのの多いことが感慨深い。今年、とうとう29歳。わたしもそういう年代になったのかということよ。身が震える。
寒中見舞いを書きながら、12月31日放送分『安住紳一郎の日曜天国』を聞いて爆笑した。
最近、というか祖母が亡くなってから、死について考えることが多い。
そういえば星野監督が亡くなった。
あと20年、いや25年もすれば、両親もその年になる。わたしも親を看取るのだろうな、とか。
死んでそのあとのこと、お化けはあくまで死んだ人の想いを持ったものであって、新たなことを産み出せないのだから、やっぱり死んだらそれで終わり、死ぬまでが勝負だな、とか。
看護師で看取ることが多い友人が、『子孫を残すという使命を全うしたから亡くなったんだ、と考える』とか。もちろん、使命は人それぞれで子孫を残すことだけじゃないとは思うが。じゃあ、わたしにできることは、とか、残された時間とか。
それも関係なく、交通事故や病気なんかでこの世を去る人や障害をもって生きる人のことなんかや。
使命やら死後やら答えがでないことばかりだから、こうも宗教や宗派は分かれて共存できてるんだろうなとか。
そんなことをぶつぶつ考えていた。答えはでないんだけれども。
それにしても安住さんのラジオはやはり神のラジオだ。面白さはお墨付き。
特に28分付近、ラジオ体操第2(自作)の、「人生は閉じていることが多いのです」は、AMラジオリスナーとして心を突き動かされました。
そして、TBS入社以来書き貯めたアナウンサー研究の68冊のノート。執念の束。
「もうそろそろ俺も年だしのびしろが見えないから、みんなで成長しようと思って」とかいいつつ、入社三年目のノートに血の爪痕が滲んでるのが見てとれます。頼もしいが恐ろしい。
近くにいるとすごくいい先輩なんだろうけれども、とてもそこには追い付けなくて結婚という名の私生活の充実へ身を落とす(?)後輩アナの気持ちもわかる!
はー、わたしも本気出そうと、スマホからツムツムランドのアプリをアンインストールしたのでした。
安住紳一郎の日曜天国 2017年12月31日
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