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中国から帰ってきた人のブログ。

中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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今週に入って、限界を感じていた。
45分前には出社していたのが15分前になった。会社に行きたくないという気持ちが明らかに胸の奥にあって、準備が進まない。家を出て、会社に向かう足が重い。前に進んでいるのにも関わらず、私の頭のなかではムーンウォーク。逆方向の動く歩道に乗ってるみたいに、進まなければいいのに、と考えながら歩く。
会社ではふとしたときに涙が溢れそうになり、目の前の文字を読んで必死にやり過ごす。無心になれ。経済研究所、TDB調書、入稿期日。メールの返信、ミーティングのアレンジメント、お忙しい中恐縮ですが。西遊記の孫悟空が頭につけられた輪っかをはめられたみたいに、こめかみがみしみしと締め付けられて思考は前に進まない。
話の分からない取引先の営業が、同僚たちに馬鹿にされるのを背中に聞きながら、わたしもこう言われてるのかな、と思う。でも、劣等感の思考が始まるとループになるから。先輩からそういう風に考えちゃダメよ、言われたから考えない。マイナス思考に蓋をして目の前の業務に取り組む。でも、もう限界だった。作り笑顔もひきつって、会話するにも来もそぞろ。ここでずっと働けるなんて考えられなかった。


病院にいった。
女の先生だけど、前とは違う人。ほっとした。
てきぱきと質問される。
休職を進められた。
書記に伝える言葉。「病名は適応障害。」うつとも、ADHDとも違った。
先生は秋田県出身だった。
病院に来る人を見ていると、東京に馴染めない人は多い。そういう人たちは人が違う、あとうるさいと言う。北海道の人なんて特に馴染めない人が多いんだって。関東圏とか大阪の人の方が、適応力は高いのかなあ、って。東京にいる人でも、農業やってる人はここにこない。人と関わらないから。サービス業なんかのきめこまかいことを求められる人たちがぼろぼろになってる。
休職は、すぐにはおすすめしません。癖になるから。
休職するにしても、復職が前提ですから。って絶対言われるから。ここから2パターンに分かれます。地元に帰ってゆっくり休養して、仕事を探すか。周りの友達や家族が地元に戻っておいで、と言うならそちらがいいかもしれない。もうひとつは、東京でしかできない仕事をするために、休んで力をつけて帰ってくる人たち。どちらを選ぶのもあなたの自由です。
薬は、今回は出さないけどずっと憂鬱が続くようなら飲んでくださいね。

というのが先生の言葉。


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aoyagiさんの親孝行の記事を読んで泣いてしまった。
親に申し訳ないことに、自分のことで精一杯で親のことまで考えられる余裕もない。

最近、いよいよ眠れない。
夜中に目が覚める。

仕事は続けるのが難しいと思う。
でも、どう切り出していいのかわからない。考えられるのだと、うつ診断されたところから、休職に持ち込むか…。

先日「うつ状態」と診断され、突っぱねて帰宅してしまったが、先生の「今薬を飲まないと眠れなくなりますよ」という言葉が頭のなかで反芻する…。薬は冷蔵庫のなかに突っ込んだままだ。

中国語の翻訳、ふたつほど翻訳学校に行ったが、今は開講時期ではないため、8月の夏期体験を紹介された。
しかし、やはり狭き門なのは変わらなさそう。というか、それを今やっと実感しておろおろしている。
香川にいたときにもっと問い合わせを自分からしたりしておけばよかった、と今更ながら後悔。
あまりにも狭き門なので、このまま翻訳の道にいくべきかを悩む。
その道が途絶えた時点で、進むべき方向を見失っている。
あまりにも考えなしだったな、自分…。

東京に来てあっという間に8月。もう今年が半分終わったが、今の職場に来てまだ4ヵ月しか経っていないのだ…。

なるようにしかならないよね…。
辞めて翻訳学校に通うのか?
家賃はどうするのか?本当にその道で大丈夫か?
30歳までの貴重な残り3年、中途半端な夢を追っかけるより地元で結婚、出産した方がいいのでは…
というか、東京で働くサラリーマンたちよりも、地元で働くお母さんがたの方が話は合うし、居心地よい。
元々ずっと東京にいる予定ではなかったし…。ただ、今帰って、何ができるかということなんだよね…。
自分の能力を見誤ったわー。バリバリOLできる器じゃない。
世の中、もう中国語だけで買われる時代じゃないのね。

他人にすべてを頼るのは時間とお金がかかると思い知らされた。
今日で精神科を受診するのは合計三回目。
一回目は女性のADHDの専門医、A医院。
二回目は最寄りの精神科、Bクリニック。ネットでも有名で、前日に初心OKとのことで予約し、受診。
そして今日、A医院を再度受診。
ちなみに全員違う先生。

初回のO先生(女性)はとてもよかった。
きちんとこちらを向いて、「あなたの言葉で話してね」と、丁寧に顔を見て話を聞いてくれた。
責任感から精神的に負荷がかかっている可能性が高いので、カウンセリングをして少しでも負荷を減らして
いこうという提案をもらい、承諾。無理に薬も進められなかった。

二回目の時は、せっぱつまっていた。
A医院でとった予約は全て残業や飲み会で潰れ、メンタル的にもボロボロ。職場でもボロ泣き。
土日で病院に行って、何か改善策を…と焦ってネットで見つけたBクリニックに予約。
女性の先生だったが、最初から顔も見ず、問診票に書かれた言葉を確認する程度。
私もほぼ無表情で、話しながら涙を流したり、相当なメンタル状態だった。
5分ほど話したところで、薬の処方を進められる。
薬は呑みたくない、と話したが、執拗に薬には依存性がないことを説明された。
「うつ病とは断言できないが、うつ状態ですね」と言われたのが心に刺さった。
これが改善の糸口になるなら、と最低限の薬を処方してもらった。

三回目は、今日。
A医院で、初回とは別のA先生の診療。
予約時間から1時間近く待たされた後、診療時間は20分。
淡々と質問事項を読み上げる。子供のころの様子、忘れ物や落ち着きのなさ、人間関係に問題はなかったかについて。
おそらく特別に目立った問題は無かったです…と伝えると、ADHDの可能性は少ないと伝えられる。
ダメだダメだと考えすぎると、本来できることも出来なくなってしまうから、あまり考えすぎずに…と。
それが出来れば苦労しないんですけどね…と涙を流してしまう。
その辺りは、カウンセリングで軽くしていくことはできますからね。と、言われて終了。
あまりこちらを見ずに、ただ決められた質問をして当たり障りのないことを言っている印象を受けた。
受診時間も終わり近くになり、疲れていたんだとは思うけれど、流れ作業のような話をするだけのために、
ここまで時間をかけて来た私の時間と労力は何だったのだろう。
帰りに受付で、次回のカウンセリングの予約料を説明されたところで馬鹿らしくなった。
1,620円、予約料。前回残業で行けなかった分の予約料は、キャンセル時点で返金不可。
二回目のBクリニックでの薬の処方代、カウンセリング料(前払いだったが都合で行けず、キャンセル。戻ってこず。)約7,000円。薬は袋ごと冷蔵庫につっこんだまま、一口と飲んでない。
カウンセリングの予約は一か月先。それまでどうしろっていうんだ。

最近の思考は「病気だから仕方がない。」
勝手に自分を病気だと思い込むことで、すべてを放棄していた。
要点をかいつまんで話せないこと、質問できないこと、ジョークにうまく反応できないこと、
メール打つのにも相当長い時間がかかること、状況を理解できていないこと、質問されたら困って黙ってしまうこと、だんだん周囲が話を聞いてくれなくなってるなと感じること。
どうしようもない状況に、なんとか自尊心を保って納得のいく、答えを出したのが「病気だから」。
そして、努力をするのを少しやめた。
ただただ、言われたことだけを処理するマシーン。
うまくいかないのは病気だから。お医者さんが上手い対処法を出してくれる。
障がい者認定してもらって障がい者雇用枠で働けば、ハードルが低くなるから楽だろうとか考えていた。本当の障がいを持っている人に失礼なことに。
O先生にもA先生にも、ADHD傾向は一部あるかもしれないが、その障がいである可能性は低い、と言われた。
もちろん検査してみないと分からないけど。
だったら、自分で何とかするしかない。
カウンセリングも、診療もお金も時間もかかる。「病気」を言い訳に生きていると、成長している感はない。
だからカウンセリングと受診はいったん止めて、自分の頭で考えられるとことまで考えようと思う。
それが一番お金も時間もかからない方法だし。
他人に全部頼って生きようとすると、コストばっかりかかるものだと、嫌というほど理解した。
ただ、私自身営業が本当に向いているかは疑問。
今後、どう生きていきたいのか、やりたい事、どうやっていくのかを全部描いてみて、
そのうえでどんなことがやりたいのか…翻訳なり、中国語使って働く仕事なり、考えよう。
せっかく東京にいるんだし、コネ作るのと、いろんな人の話を聞いてみよう。
生きやすくて楽しい方法を、他人に頼っても出てこない。かかるのは時間と金ばっか。
頭の良い人なら考えればわかる事なのかもしれないけど、
単純な脳みそを持つ私が、経験してみてやっとわかったことなのでした。
ありがとうございました。
メンヘラ臭がやばい

東京に来て約3ヶ月が経ちました…。
毎日が忙しく、世話しなく、過ぎていきます。
もう3ヶ月、というよりは、まだ3ヶ月という感じ。

人手不足の部署にいます。
あまりにも分からないことが多く、聞かなければいけないけど、聞けないことも多い。分かってる?何いってるの?どういうこと?何度も何度も指摘される。
周囲には優秀な先輩がおり、半年先に配属された同期が批判されているのを見ると…「ダメだね」「あれはダメだね」わたしもそう言われているだろうという恐怖を感じる。

分かろうとしない自分が悪い。
なぜできないのか。なぜ何度も何度も聞いて怒られるのか。私が悪いのか。
言われたことしかできない、創造力の欠片もない無能。
自分で自分を追い込んで、職場で何度も泣きました。
カウンセリングにも行きました。

会話するのが怖くなり、言葉が次第に出なくなる。
自分は目の前の事象にしか反応できないな、と感じる。うまく反応できないし、面白いことも言えないし、自分の意見を言うのも怖い。
会話がだんだんできなくなって、私といるとみんな黙る。昨日一昨日の同期旅行もしんどかったな…周りとの距離がありすぎて…

今日は、いやいや会社に行きました。忙しさであっという間に時間は経つけど、わたしの行動の遅さを考えると腹が立つ

香川に帰ってうどん屋で働きたい…
そんな現実逃避ばかりしていた。
気がついたら浴槽で、寝ていた。
眼が覚めて思った
「あーーー、しあわせ」


自分の要領の悪さにいらいらしたり、
周りの手を止めさせて申し訳なく思ったり、する。
でも、店舗にいたときのような緊迫感とかぎすぎす感とか苛立ちとかの空気は感じない。
仕事にゴールがあって達成感があり、
そこには一歩間違えればお客さんを騙すような言葉遣いで売り上げを競う緊張感もなく、先輩は優しいしかっこいい(男女とわず)。そういえば、こんな風になりたいって先輩、一人もいなかった。。。(笑)
それでよく働けてたよな。。。
この会社に入ってよかったなあって、4年目の今、初めて思った。


前の職場で得たもの。
「謙虚さ」と「人の話を聞く意識」。

大学出立てで天狗になってたたかーーいお鼻を2年間でへし折られたんだよね。
親戚、友人には、店舗勤務と人に伝えると、なんだか下に見られる空気を何度となく味わった。それになんてたってお客様対応。プライドなんてないさ。お客様には勝てないもの。仕事に関してはどんなに頑張っても、尊重してもらえる経験は多くなかったなあ。高いお金払って大学まで出て何やってるんやろ、と自尊心はぼろぼろに。

でも、それまでの自分が自分がって態度はぽっかりなくなった。
それまでは、人の話を聞くのは自分の話を聞いてもらう対価だと思ってた(今考えるとすごいよね)。
人の話を聞くふりしかしかしてなかったんだよね。

書きながら、寝落ち。
続きはまた今度、ということで…。




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