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中国から帰ってきた人のブログ。

中国から帰国した後の生活をつづるブログ。読書、映画、音楽、日々のできごと等々記録していきます。
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先ほどの話。

木枠のテレビ台を購入し、持ち帰ることに。
ぐるぐる巻きの手提げを付けてもらったが、歩いていくにつれ重さが増して、最寄り駅を降りたときには限界になった。
10mごとに取っ掛かりを見つけて休み休み歩いていた。
人通りが少ない裏道とはいえ、怪訝そうにこちらを見る人も。


あと100m、でももう動けない…。と言うところで声をかけられた。
「大丈夫?おうちは近いの?」
見ると、ママチャリに乗ったおばさん。
買いもの帰りのようだ。
「よかったら、乗せていく?」
荷台を差し出してくれる。


ご厚意に甘えて荷台に荷物を乗せてもらった。
(私)「すいません、ほんとありがとうございます。乗せていただいても大丈夫ですか?」「いいのよ、私は。時間があるから」
と非常に気さくなおばさん。
大学でこちらに来たのか、と聞かれたのでいえいえ会社で…。と訂正しておいた。(マスクをしていたので顔がよく見えなかったはず)


自宅につく数10m手前、このおばさんにお礼にうどん用だし醤油を差し上げるべきか…。と思案していたのだが、うちに着いたらくるっときびすをかえして「それではね」といってしまった。
なんとスマートなのだろう。
好意の差し出し方も、去り際も…。
東京にきて初めて受けた好意にいたく感激したのでした。


「東京の人は冷たい」
なんてよくあるイメージだけど、そうでもないのかなーと思う。
階段で困っているベビーカーの女性、ベビーカーをひょいと持ち上げて階段を下り、さっと立ち去るおじさんとか。
他にも所々で、人に親切にしている様子を見かける。
東京って思ってたより親切な人も多いのかも。
無駄に話しかけたりするのではなく、自然にいいことをして去っていく、東京の人の親切をするようすが見えてきたのでした。
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東京にきて3日目。

転任休暇をもらっているため、出勤は6日から。
1日の深夜に到着してから、のんびりと引っ越し作業にいそしんでいる。





こんな田舎から





こんな都会へ来てしまったものだから、慣れずにびくびくした。
マイルームは東京都内。
行列するお店が並び、芸能人も多く出没するというところ。
深夜でも家の前の道を歩く話し声が聞こえるし、「おしゃれして来るところ」らしく洒落こんだ格好の若者たちがそこかしこに。
恐れ多くてジャージとトレーナーで道を歩けない。


ただ、都心へのアクセスのよさは抜群。
買い物しようと思えば今話題のあの店にもこの店にもすぐ行ける。
今日は格安インテリアショップをはしごした。ナチュラルキッチン、フライングタイガー、無印良品、フランフラン、キャンドゥ。。。
買えなかったらまた来ればいい。
ガツガツしなくても近いんだし。
地元にいたら考えられない余裕ができる。


両手に大荷物を抱えて帰途、ふと思う。
あれ、なんかわたし楽しんでないか?
「東京にいきたくない」と何度涙したことか。
半年間、悩みに悩んで出した結論。
それでもまだ周りには「いきたくない」と愚痴っていた。。。のに。
いい意味で予想外。
そりゃそうだ。面白い人、もの、イベント、なんでもござれ、それが都会の魅力だもの。

一方で忘れてはいけない本来の目的。
香川で中国語の仕事をするために、東京で勉強する。
期間は3年。3年後、翻訳や通訳の仕事がもらえるようになっていたい…。
その上で、あわよくば地元に戻って結婚したい。今の彼氏と。

だからわたしは我にかえって冷静に、勉強のための準備を始めるのだ。
東京の熱気にに振り回されない年齢でよかった。
いいタイミングで来たものだと思う。
決めた。
仕事やめる。

人事の方との面談が今しがた終わった。
語学を使って仕事をしたい。
勉強しているアピールもした。
だが、そううまくはいかなさそうだ。

転勤するなら東京。
管理系の部署で一、二年学んで、もしそのあと中国語で携われるような部署があればそれからだということ。
下には語学堪能な後輩もたくさんいる。
君は英語はできないの?

この会社にはいったことが間違いではないけれど、私のやりたいことはやらせてもらえなさそうだ。
もし、語学をいかせる部署にいかせてもらえるなら、これから一、二年かけて頑張ろうと思っていた。しかし、上記の通り。
いても時間の無駄になるだけだ。

もし伝えるなら12月末までには言おう。
1月末で退職だ。
倒産していた・・・。

ネットで会社の口コミ情報を調べていて、ふと気になって調べたら、検索予想に
「●●株式会社 倒産」の字が・・・。

面接で声をかけてくれた女性社員や、社長から直筆メッセージが届いたことを思い出す。
あの人たちは今頃どうなっているんだろう・・・。
でも、自分がもし入社していたら今頃路頭に迷っていたかもしれないと思うとぞっとする。
それに今の会社に入ったから、実家に帰って来れている訳だし。


実は今、転職を考えて履歴書を出そうとしている。
地元企業の契約社員。
収入もぐっと下がる。
でも、地元で、中国語を使って仕事ができる願ったりかなったりの仕事。

振り返ったときにこの選択でよかったと思えるように毎日送らないといけないなあ。

人生分かれ道と選択なんだなあ。
と、しみじみと感じたのでした・・・。


昨年度の評価表をこんな時間までダラダラ書きながら鬱になる。
本当に大したこともせず、昨年一年が終わってしまった。
何をしていたんだろう?と首をかしげる。

Twitterで鍵アカを作ってぐちを吐き出してるんだけど、昨年11月から言ってること変わってなくて笑ってしまうw
「仕事やめたい」これだけw
ほんと進歩ないわー。

仕事やめたいと思うのには波がある。
仕事上で嫌なことに直面したとき だとか
人間関係が上手くいかなかったとき だとか
あとは友人と比較してサービス業にいる自分のことを卑下してしまうとき。
人と比べて落ち込んでる自分がみっともないし、そういうふうにしか考えられない今の状況も情けない。
高校の同級生のなかでは割といい大学に進学できた方だったのだけど、卒業後、周りは公務員だの病院だのお堅い仕事に着いてるなかで、わたしはGWも出勤のサービス業…。
比べてるんじゃないかとびくびくする。落ち込む。現実逃避のネットサーフィンのループだよ。最悪。

変わらないといけないことは分かっていて、動き出さない自分が悪い。
ずるずると季節は過ぎる。
専門学校に通い直そうか考えていた去年。
中国旅行でやはり中国に関わる仕事がしたいと考え直した2月。
知り合いに動き方を教えてもらって、転職相談にいこうと決めた3月末。
もう半年以上が経過した…。

地元に帰ってきてすぐは、また東京や大阪へ異動になるのを願っていた。でもこちらの居心地よさから、やはり地元で生きていきたいと思った。その為に、やはり資格を取り直すか?いや、やっぱり中国と関わりたい!
そして今なのだ。
何かしらの紆余曲折はあったのだ。

進むべき道を見据えれば、やらなければいけないことは見えてくる。
がんばれわたし!
とにかくもう5月、決めたなら行動あるのみ!

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